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2013/06/30

【こんな管理職がいい・⑥】 例え話と事実の使い分け


本日、とある女性から
「真夜中の管理職シリーズ、好きです。」と言われ、舞い上がったワタクシ(笑)。
早く続きを書いて簡潔させねばと、お尻を叩かれた思いです。

いつも読んでくださって、ありがとうございます!

「真夜中の」と接頭語が付いたのは、
私のPost時刻が夜中だからですね、、、(汗
企業の管理職の方は、朝早く夜も遅い。
そんな方に読んでいただくために、夜中に書いてます!

ところで、そんな嬉しい言葉を下さった女性、
なんと、最近上司が代わったそうなのですが、
その新上司の方が
「こんな管理職がいい」の内容にかなり当てはまっていらっしゃるそうで、
「なんとなく、イイ上司だなとは思ってたんですけど
 このシリーズに当てはまるので、やっぱイイ感じなんですよ」
とのことでした!
このシリーズ、新上司のアセスメントツールとしてもお使いいただけます(笑)。


というわけで、こんな管理職がいいなシリーズ、第6回目をお送りします。




 例え話を織り交ぜつつ、具体的な指示を出す。 


会社には色々な年代・色々な性格の人が異動してきたり入社してきたりします。
大学を卒業したばかりの新入社員もいます。中途入社の人もいますね。

同じ成長背景を汲んでいない人たちに、自らの意思を正確に伝えるには
どうすればよいのでしょうか。



かれこれ5年前に異動したての頃、新しい部署の全体会議で、
エライ人の話が具体的かつ内輪な用語の連続で、
ちーっとも理解できませんでした。

(気づいたら始まって10分経過後は我慢できず居眠りをしてしまいましたけど)

メンバの中にそういう人も混ざっているんだ、という意識を持つと、
具体的な話の前に、抽象化するための例え話をして指示するようにすると、
聞いている人が、コトの本質を理解しやすい、ということに気づくと思います。

 

かといって、いつも例え話ばかりでは
実体が伴っていなくて意味が無いですし、
大きな認識の齟齬につながることもよくあります。

ですからもちろん、具体的な内容も織り交ぜる。


それらを上手に使い分けるマネージャーの話って、
本質がわかっているので、尚更わかりやすいんですよね。
 


~~~~
ちょっと脱線しますが。
”全体会議”ほど気をつけないといけないものはありません。

一体なんのための会議なのか?
全くわからないままに終わるものが散見されます。


会議というのは、目的を実行するために、関係者が集まって開くもの。
”定例”の”報告”会、
しかも内容が似たり寄ったりでメンバだけが少し違うとか
そういう会議がが横行している組織は、要注意です。

情報共有だけで終わるぐらいなら、
「情報共有した上で何を果たしたいのか」
という目的を明らかにしてみて欲しいです。

というわけで、一般社員の方は、是非聞いてみてください。

「その会議で、どんな意見が出たんですか? 」

こんな質問一つで、
時間泥棒な会議になっていないかどうか、

上司の面子を潰さずに
でも自ら気づいて頂けるきっかけになったりします。


あとは、よく見かける”全体会議”の光景が
各自が、ネットワークにつないだPCを見ながらの会議。

絶対、話聞いてないでしょ(笑)

仮に聞いていたとしても、
かなり失礼な態度だなと思います、、
そんなに時間が惜しいなら、出席しない方がよほど効率的です。

2013/06/21

個人が全人類と対峙する時代 13年前の予言

ここ十年ぐらいに渡り、
「個人が力を発揮できる時代」
という、かっこいい言葉を耳にするようになって久しくなりました。

ICTの出現と急速な広がりにより、徐々に現実味が増してきて
実際に組織に入らず個人でビジネスを立ち上げるための敷居も
かなり低くなっているそうですね。


この言葉、
私にとっては特別な意味を持ちます。

というのは
さかのぼること13年前、、、

TwitterもBlogもfacebookもない時代に


就職氷河期のまっただ中、ご多聞に漏れず右に倣えの姿勢で
就職活動をやっていました。
沢山の企業をとにかくひたすら受けている中であっても、
今勤めている会社の入社試験を受けることを決めたのは、

学生向けの会社案内のBrochureに、以下の文章が書かれていたからです。

念のためもう一度書きますが、2000年のことです。



情報技術の劇的発達は、

今まで存在した情報の「発し手」と「受け手」の関係を崩し

既成の社会的ヒエラルキーを崩壊させつつある。


社会を安定させてきた国家や企業や家族は、

その機能の変革を迫られ

個人が全人類と対峙する時代がやってきた。


コミュニケーションのコストは減少し、

地球規模のネットワークの中で

個人は多様な文化、多様な価値に、

直接対峙することになるだろう。


会社案内の写真もこんな地球の絵が載ってた記憶があります




同業他社にはなかったであろう、社会全体を見据えた上での先見の明?的な視点と
当時の企業ビジョンに、
とてつもない先進性を感じ、そして共感し、しびれ、
心を鷲掴みにされたものです。



個人が価値を発することができる時代・・・?
この会社に入ったら、そんな夢物語を紡ぎ出す仕事に携われるのかな?
そうしたら、
ものすごいワクワクできる未来が来る・・・。

 
そんな未来に思いを馳せつつ、

(実はイヤイヤでしたが)
入社を決めました。


入社してからは、ソーシャルネットワークのようなしくみを検討するチャンスは
無論、なく。
地道に金融機関向けシステムを作っていたわけですが。

今現在のようなソーシャルネットワークの時代が、
他社の力により出来上がっているのを客観視すると
なんとも言えず、感慨深いというか寂しいというか
そんな気持ちになります。


そんな気持ちを抱けたのは、
いまの会社がとにかく「嫌いだ嫌いだーーやめたいーーー」と言っている状況から
抜け出せたからだと思います(笑)。


「個人が全人類と対峙する時代」
社会インフラを提供してきたIT企業の中の
組織の中の一個人として
組織に埋没せずに
生きている今現在の、革命の一助でありたいと思っています。


※あまりに共感したので、2000年当時の手帳に写してあって、
 それがあるから今でもその手帳を捨てられず、断捨離が進みません。
 今回、ようやくブログに転記してバックアップ取れました(笑)。


2013/06/15

自分がどう見えているのかを、冷静に知る。

今回は「理想の管理職像」はちょっとお休みして、


以前にPostした記事「『自分の知らない自分』を知っていますか」にもあるのですが、
自ら得た体験談より、コラムを少し。

自分に対するフィードバックをもらう ことについて。


良好な人間関係において
先生・生徒の間柄や、
正直に言い合えるような親しい間柄でなければ、たいていは

自分への酷な評価というものは、もらえないものです。

誰しも、面と向かってそんなことは、言いたくないという人が大半ではないかと思います。

程度の差こそあれ、少なからず確実に、相手を傷つけますし(苦笑)。


しかし、
そのフィードバックを「敢えてもらう」「もらえる相手を探す」ということは
社会の中において、自分を自分らしく生かす上で、
とても重要です。


「他人が自分をどう思ってるか、なんて関係ないや!」みたいなことを
若かりしころ、私は思っていたのですが

自分が認識している自分(私)は、
だいたい、
他人が認識している”自分(私)”の
 「10倍増し」でキラキラしています。

これを自己愛といったり
自意識過剰とも言いますけど、
そういう、厭味な話をしたいわけではないのです。

誰しもが、こういう状況になっていると思うのです。


キラキラな自分像 vs  他人から見える自分






この間には、多かれ少なかれ、必ずギャップがあります。


どれだけ、どんなギャップがあるのか
それを、自己判断ではなく人から教えてもらうことにより、

自分の改善ポイントに自ら気づき、修正していくことができます。

つまり、なりたい自分になるための答えは、自分の中から掘り出せるのです。


しかし、ギャップを知らないことには、
そして、ギャップを教えてくれる人がいないことには、
改善のしようがありません。


私は今、職場の同僚や友人に
正直に、実直に、私がどう見えているのか教えて欲しい、と
お願いをしています。

案の定、かなり、ショックを受けております(苦笑)。

でも、何度か教えてもらううちに、ショック状態からの立ち直りが早くなり
それよりも、そのギャップを埋めるために
自分をどう改善すればよいか、見えてくる方が楽しくなってきます。


職場などで、これから、フィードバックを得る機会のある方は、

どうぞ、その実直なフィードバックを実直に受け取り、

キラキラ自分像(理想像)とのギャップを

冷静に感じてみてくださいね。


ここからはじまりだと思うのです。



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