常に酔っていなければならぬ。
それがすべてだ、問題はそれしかない。
君の肩を押しひしぎ、
君を地べたにかがませる「時間」の 恐るべき重荷を感じたくなかったら、
休むひまなく 酔い続けなければならぬ。
しかし、何に?
酒にでも、詩にでも美徳にでも、お好きなように。
だがとにかく酔いたまえ。
そしてもしもときたま、宮殿の石段の上で、
掘割の緑の草の上で、
君の部屋の陰鬱な孤独の中で、
君が目を覚まし、酔いがすでに薄れたり消えたり
していたら、
訊ねるがいい、
風に、波に、星に、鳥に、時計に、
およそ移ろうもの、およそ呻くもの、およそめぐるもの、およそ歌うもの、
およそ語るもののすべてに、
訊ねるがいい、
いまは何時かと。
すると、風も、波も、星も、鳥も、時計も、君に答えるだろう、
「いまは酔うべき時!『時間』の奴隷として虐げられたくなかったら、
酔いたまえ、絶えず酔いたまえ!
酒にでも、詩にでも美徳にでも、お好きなように。」
と。
~~~~~
シャルル・ボードレールの「酔いたまえ」。
この詩、昔から好きなのですが、
友人が「この前酔っ払っちゃってごめん」と言ってきたので
久しぶりにふと思い出しました。
ごめんだなんて、言わなくて
酔っちゃえばいいのですよ。
「酔う」とは、もちろんお酒を飲んでアルコールが身体中を満たすという意味の言葉ですが
辞書をひくと、「そのことに心を奪われてうっとりする。また、自制心を失う。」
という意味もあります。
これを見ると、夢中になる、ということでもありますよね。
人生、何かに思い切り酔ってみるのって、楽しいことだと思います。
さぁ、次は何に酔ってみようかな、と。。
The world is changing so fast.
Following a conventional path does not work any more.
So I am now creating new social value as a life-work.
2013/10/20
2013/10/08
空前絶後の深海ブームに想フ・・・
深海クラスターではカリスマに近い、彼。
デメニギス。
こちらのPostでも一番に紹介しました。
とにかく、その容姿からして、一度見たものを惹きつけて離さない・・・
そんな彼が、
連日観覧客が殺到し、最終日は100分の待ち行列が出来た深海魚展で
こんな姿になって展示されていたのでした。。
ホルマリン漬けになると、完全に標本化してしまって
あの摩訶不思議な生態が、全くわからない・・・
面影すら、ないわけで・・・。
その他大勢的に、陳列の中で埋もれていました。
この空前の深海ブームの中で、
深海の超カリスマに、誰も注目してなかった、、、
デメギニス・ショック。
深海ワールドは、深海に行かねば味わうことは出来ませんね。当然ですけど。
聞くと見るとでは大違い・説。
宇宙旅行が夢でなくなった今、
深海旅行もそのうちビジネスとして成立することでしょうし。
行って見たいなぁーー。
深海展では、
生命の始まりは深海にあるという学説がわかりやすく説明されていましたが
深海旅行ができる頃には、きっとその謎も解明できていることでしょう。
(個人的には、生命の起源とかって、いつまでも謎のままでもいいかな、という気もします!)
~~~~~~~
余談ですが、
深海ワールドにかねてより着目していた私にとって、
ミッキーマウスもビックリな、あの100分の長蛇の列は、ちょっと異様でした。
深海展て隔年ぐらいで最近やってますけど、
とても地味で、マニア向け。
あんなに混雑したりしないのですよね(笑)。
言わずもがな、ダイオウイカ撮影成功の成果と
それに賭けたNHKの取材&番組作り あっての、この深海展なわけですが
商品パッケージングの妙を感じましたねぇ。
カラフルで大胆な水族館的なものを期待してやってきたチビッコたちは、
わけもわからず、ぎゅうぎゅう詰めの館内で
ホルマリン漬けの深海魚たちを目の当たりにし
「とりあえず全て」ゲーム機のカメラで撮影することをミッションとすることで、
かろうじてその場を乗り越えていましたが・・・
「もう深海魚はいいやーー」なんてなる前に
新江ノ島水族館に連れて行って欲しいものです。
あそこは深海のクラゲが結構充実していますので、、、ね。
~~~~~~~~
2013/09/08
「力を尽くしているかね?」宮崎駿監督のメッセージに想う
宮崎駿監督 の、長編アニメからの引退に思う、、、
宮崎監督の生きてきた道と『風立ちぬ』
※ネタばれが少しあるかも?是非、作品をご覧になってからお読みください!
『風立ちぬ』の主人公堀越二郎は
少年時代から空や飛行機に憧れて、
純粋にただただ、夢を追い求めていました。
根底に流れていたのは、純粋な夢と憧れでしかなかった。
後に世界を恐怖に陥れたゼロを作りだしている最中であっても。
魚の骨のカーブを参考にして機体を設計したり
画期的な枕頭鋲を開発したり
とにかく一心不乱に図面をひく姿からは、とうてい戦争とは関連の無い、
ものづくりに没頭する青年の姿に私には見えました。
当然、美しい飛行機であっても、それが戦闘機である、という矛盾は抱えていましたが、
それ自体が「良い/悪い」という次元ではなく、
とにかく飛行機が「好き」だから、という、
最終的には「好き/嫌い」の次元で、のめりこんでいました。
今やっている仕事の先に、
「戦争に勝ってやるぞ」なんていう当時としては崇高な目的は微塵もなかったでしょう。
そんな主人公の姿は、一人の人間が夢と一緒にエゴを追及した権化とも見てとれます。
結核を煩う菜穂子さんとの関係においても、
傍にいて「綺麗だよ」とささやき、求められて手を握り、抱くだけでした。
枕元でためらいながらも結局はタバコを吸うシーンは、多くの物議をかもしていますね。
今とタバコの存在感はだいぶ違いますが、それをさしひいても、
夢のためには刹那主義になれる。
その積み重ねが、 ゼロを生み出しました。
とはいえ、少年時代は下級生へのイジメを見て憤慨してケンカをし、
関東大震災の時も、見ず知らずの少女(菜穂子さん)とその侍女を
まさに体を張って助けていました。
貧しい子供たちに、自分が買ったシベリアをそのまま渡そうとしていました。
そんな優しさも、ちゃんと持ち合わせています。
優しい反面、薄情で非道。
夢を追う「鬼」。優しさとエゴ。
彼を表すならそんな言葉なのかもしれません。
でもそれは現代に生きる我々、ひとりひとりのことを表しているとも言えます。
美しい夢の追求が、
大日本帝国海軍から大絶賛を得た、ゼロを生み出した。
日本における戦争の歴史において、驚異であり脅威であった、
あまりにも有名な戦闘機です。
戦争というのは、基本的には野蛮で悲惨なものだと思います。
誰しも、死と直面して行動すれば、
自己保全のため残虐にならざるを得ず、考えられない結末を生みます。
その戦地での積み重ねと、
戦地を知らずに作戦を練り続けた後に、いよいよひけなくなった大本営という構図が、
あの太平洋戦争だったのだと思います。
夢のため、仕事のためならものすごく薄情になってしまえるひとりの人間のエゴと、
その人間とエゴ集合体が作り出す世界の想像を絶する残虐性と、
そんな社会のしくみの残酷さが描かれていたように感じます。
あの戦争の中で、それぞれ一人一人が生きるために負っていたもの。
それは、ひとつひとつの小さな「仕事の積み重ね」だったのです。
人間にとっての、仕事とは何か
人間の使命とは何か
社会と人間の矛盾
人間のエゴや狂気、、、
一人の人間が美しい夢を追う時、
そのまわりにいる沢山の人たちや、
貧しい庶民たちが引きずり込まれ、
多くの若者たちや愛する妻も犠牲にしてしまう。知らず知らずに。
そんな犠牲の上に成り立つ芸術作品は、罪深く、
しかし美しいのだという、
非常に大きな、この世の矛盾。
飛行機が美しく魅力的に描かれているのも、メタファーに思えます。
宮崎監督、本当に飛行機が好きなのですよね。
ポニョから5年間の中で、苦しみながら描いたのではないかと見て取れます。
私たち現代人が、仕事として、 良きことと信じていることへの追及、
楽しいなぁと思っていることへの追及が、
実は知らず知らずに、
社会全体としては 狂気へ突き進んでいるのではないか?
そういう警笛だと見えないでしょうか。
これまでのジブリ映画は、トトロや千と千尋の神隠しに代表されるように、
主に子供向けに「夢」「努力」「人とのつながり」などを意識して描かれていましたので、
この映画を見て、あら、今回は大人向けなのね、と
悲恋に泣いてはい終わり、で片付けてしまいがちですが、
それはあまりに短絡的です。
表面的には美しい夢物語りでありながら
実は、人間の薄情さと、
しかしそれが救いようのない本能であること、
そんな世界の残酷さを描いていることに、君たちは気づけるだろうか?という投げかけを
監督はしたかったんじゃないかと思うわけです。
貧乏なはずの日本が、美しく描かれすぎていますが、
今、「成熟社会」となった日本と比べると、
あのどん底に貧乏な時代こそが「成長」のスタートであり、
ある意味、貧乏であっても、今よりも美しい世界だったとも取れます。
「最後の長編」という覚悟で望んだ宮崎監督、なんてすさまじいんだ・・と思いました。
映画のコピーにある
『生きねば』
主人公の夢の中に何度も出てくるカプローニという高名な設計士が、
出てくるたびに、何度も何度も出てくる問いかけ。
『力を尽くしているかね?』
→これはどうやら、鈴木プロデューサによると、 旧約聖書からの引用した一文で、
「全て汝の手に堪うることは、力を尽してこれをなせ」
(すべて人の手にたうることは、力を尽くしてこれを成せ)
というものらしいです。
また、 ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』の一節から引用した
『風立ちぬ、いざ生きめやも』 “Le vent se lève, il faut tenter de vivre"
意味:(風が吹いている。さぁ、私たちは、生きる努力をしなければならない)
この3つの言葉が繰り返し、物語の中に静かにちりばめられています。
そう、
宮崎監督が、同じ時代を生きている人間として
成熟社会の日本人である私たちに問いかけていることは
実にシンプルなのです。
今日も明日も、生きねばならない、ということ。
夢を追った結果に出来上がった世界は残酷で非道なこともある。
しかし、夢中になれることを見つけたのであれば、
今日も明日も力を尽くして、生きねばならぬ。
生きるために働かねばならぬ。
良かれと思っている仕事が、世界のために全然なっていなくて、
もしかしたら、
世界滅亡の道を切り開いていることなのかもしれない。
自分や自分の子供たちの首を絞めることかもしれない。
仕事というものは、一生懸命になればなるほど、そういう麻薬的な性質を持つ。
でも、それに気づくと気づかざるとに関わらず、
(一生気づかずに死んでいく人であっても)
そうであっても、やはり私たちにできること、というのは
力強く働き、生きていくこと。
そういうことなんじゃないかなーと思いました。
宮崎監督の、最後の痛烈なメッセージ。と私は受け取っています。
大変、胸を打つものがありました。
もちろん、映画を構成するディティールが今回も素晴らしかった。
ジブリ作品、私の中でのお気に入りは、ダントツでナウシカともののけ姫でしたが
風立ちぬと3点セットにすることにします!
2013/08/07
暑中お見舞い申し上げます
暑中お見舞い申し上げます。
営業にとって、夏というのは、コンクリートジャングルをかけずりまわり
体重を激減させることのできる季節、
というだけでなく、勝負の季節でもあります。
受験生にとっては、「勝負の夏」という言葉が昔から言われていまして、
夏を制す者は受験も制すと煽られて
私も必死になって高3の夏を過ごしていた記憶がありますが、
営業も、夏が勝負だと 私は思います。
お盆休みが間に入りますので、
打ち合わせのアポイントメントが取りづらい時期でもありますね。
なのですが
お客様はだいたい「夏休み」気分が少し入りますし、
外では蝉が頑張って鳴いているBGMもおまけについてますから
じゃっかん、なんとなく、
おばあちゃんちに帰省したときのあの懐かしい夏休み的な記憶がフラッシュバックしているんじゃないでしょうか。
ほんとになんとなくですけど(しつこい)
普段よりも気分が緩んでいる(ような雰囲気が私はする)ので
初めてのお客様であっても、アポイントが取りやすい傾向にあります。
「そんなに言うなら、まぁいらっしゃいな」
「暑い中、よく来たね」
「おつかれさんどす」
なんていうノリですね。
ありがたいことです。
夏はとにかく、勝負だ!という気持ちで、
多くのお客様と接点を持つようにしています。
そんな中でいつも困っていることが・・・。
このコンクリートジャングルの中。
外に出て数分で、汗とともにメイクが崩れていくのです。。。
これは、ほんとうに悲劇です。
一番辛いのが、工場のような、敷地の広いところにご訪問したときです。
往々にして、照りつける日光量が多く、日よけもありません。
まず守衛さんのところで、来場者受付の用紙に記入する時点で、汗をかきます。
そこでまず汗を拭きます。
その後、受付を出て、てくてく建屋まで歩いている最中はいいのですが
打ち合わせ場所について、歩みを止めた瞬間に
滝のような汗。
NON STOP。
扇子で扇ぎながらお話するなんてこともできませんから
ひたすら一人で汗をふきふきふきふきしながら
(お客様はもちろん汗をかいていない)
お話をしないといけません。
汗といっても、決して「冷や汗」ではないのに
必死で汗を拭いていると、
なんとなく、説明する内容がやましいことかのように自分でも錯覚します。
不思議ですね(笑)。
お客様と打ち合わせを終え、帰るときには、
メイクが落ちて人相が変わっているかもしれません(笑)。
余談。
私のオフィスは一ツ橋の方にありますが
営業を終え、汗だくで帰社する帰り道、
丸の内OLさんたちとすれ違います。
とっても洗練されていて、もちろん、メイクもばっちり。
う~ん、同じ女性として、ものすごいはずかしい・・・
営業にとって、夏というのは、コンクリートジャングルをかけずりまわり
体重を激減させることのできる季節、
というだけでなく、勝負の季節でもあります。
受験生にとっては、「勝負の夏」という言葉が昔から言われていまして、
夏を制す者は受験も制すと煽られて
私も必死になって高3の夏を過ごしていた記憶がありますが、
営業も、夏が勝負だと 私は思います。
お盆休みが間に入りますので、
打ち合わせのアポイントメントが取りづらい時期でもありますね。
なのですが
お客様はだいたい「夏休み」気分が少し入りますし、
外では蝉が頑張って鳴いているBGMもおまけについてますから
じゃっかん、なんとなく、
おばあちゃんちに帰省したときのあの懐かしい夏休み的な記憶がフラッシュバックしているんじゃないでしょうか。
ほんとになんとなくですけど(しつこい)
普段よりも気分が緩んでいる(ような雰囲気が私はする)ので
初めてのお客様であっても、アポイントが取りやすい傾向にあります。
「そんなに言うなら、まぁいらっしゃいな」
「暑い中、よく来たね」
「おつかれさんどす」
なんていうノリですね。
ありがたいことです。
夏はとにかく、勝負だ!という気持ちで、
多くのお客様と接点を持つようにしています。
そんな中でいつも困っていることが・・・。
このコンクリートジャングルの中。
外に出て数分で、汗とともにメイクが崩れていくのです。。。
これは、ほんとうに悲劇です。
一番辛いのが、工場のような、敷地の広いところにご訪問したときです。
往々にして、照りつける日光量が多く、日よけもありません。
まず守衛さんのところで、来場者受付の用紙に記入する時点で、汗をかきます。
そこでまず汗を拭きます。
その後、受付を出て、てくてく建屋まで歩いている最中はいいのですが
打ち合わせ場所について、歩みを止めた瞬間に
滝のような汗。
NON STOP。
扇子で扇ぎながらお話するなんてこともできませんから
ひたすら一人で汗をふきふきふきふきしながら
(お客様はもちろん汗をかいていない)
お話をしないといけません。
汗といっても、決して「冷や汗」ではないのに
必死で汗を拭いていると、
なんとなく、説明する内容がやましいことかのように自分でも錯覚します。
不思議ですね(笑)。
お客様と打ち合わせを終え、帰るときには、
メイクが落ちて人相が変わっているかもしれません(笑)。
余談。
私のオフィスは一ツ橋の方にありますが
営業を終え、汗だくで帰社する帰り道、
丸の内OLさんたちとすれ違います。
とっても洗練されていて、もちろん、メイクもばっちり。
う~ん、同じ女性として、ものすごいはずかしい・・・
2013/06/21
個人が全人類と対峙する時代 13年前の予言
ここ十年ぐらいに渡り、
「個人が力を発揮できる時代」
という、かっこいい言葉を耳にするようになって久しくなりました。
ICTの出現と急速な広がりにより、徐々に現実味が増してきて
実際に組織に入らず個人でビジネスを立ち上げるための敷居も
かなり低くなっているそうですね。
この言葉、
私にとっては特別な意味を持ちます。
というのは
さかのぼること13年前、、、
TwitterもBlogもfacebookもない時代に
就職氷河期のまっただ中、ご多聞に漏れず右に倣えの姿勢で
就職活動をやっていました。
沢山の企業をとにかくひたすら受けている中であっても、
今勤めている会社の入社試験を受けることを決めたのは、
学生向けの会社案内のBrochureに、以下の文章が書かれていたからです。
念のためもう一度書きますが、2000年のことです。
情報技術の劇的発達は、
今まで存在した情報の「発し手」と「受け手」の関係を崩し
既成の社会的ヒエラルキーを崩壊させつつある。
社会を安定させてきた国家や企業や家族は、
その機能の変革を迫られ
個人が全人類と対峙する時代がやってきた。
コミュニケーションのコストは減少し、
地球規模のネットワークの中で
個人は多様な文化、多様な価値に、
直接対峙することになるだろう。
同業他社にはなかったであろう、社会全体を見据えた上での先見の明?的な視点と
当時の企業ビジョンに、
とてつもない先進性を感じ、そして共感し、しびれ、
心を鷲掴みにされたものです。
個人が価値を発することができる時代・・・?
この会社に入ったら、そんな夢物語を紡ぎ出す仕事に携われるのかな?
そうしたら、
ものすごいワクワクできる未来が来る・・・。
そんな未来に思いを馳せつつ、
(実はイヤイヤでしたが)
入社を決めました。
入社してからは、ソーシャルネットワークのようなしくみを検討するチャンスは
無論、なく。
地道に金融機関向けシステムを作っていたわけですが。
今現在のようなソーシャルネットワークの時代が、
他社の力により出来上がっているのを客観視すると
なんとも言えず、感慨深いというか寂しいというか
そんな気持ちになります。
そんな気持ちを抱けたのは、
いまの会社がとにかく「嫌いだ嫌いだーーやめたいーーー」と言っている状況から
抜け出せたからだと思います(笑)。
「個人が全人類と対峙する時代」
社会インフラを提供してきたIT企業の中の
組織の中の一個人として
組織に埋没せずに
生きている今現在の、革命の一助でありたいと思っています。
※あまりに共感したので、2000年当時の手帳に写してあって、
それがあるから今でもその手帳を捨てられず、断捨離が進みません。
今回、ようやくブログに転記してバックアップ取れました(笑)。
「個人が力を発揮できる時代」
という、かっこいい言葉を耳にするようになって久しくなりました。
ICTの出現と急速な広がりにより、徐々に現実味が増してきて
実際に組織に入らず個人でビジネスを立ち上げるための敷居も
かなり低くなっているそうですね。
この言葉、
私にとっては特別な意味を持ちます。
というのは
さかのぼること13年前、、、
TwitterもBlogもfacebookもない時代に
就職氷河期のまっただ中、ご多聞に漏れず右に倣えの姿勢で
就職活動をやっていました。
沢山の企業をとにかくひたすら受けている中であっても、
今勤めている会社の入社試験を受けることを決めたのは、
学生向けの会社案内のBrochureに、以下の文章が書かれていたからです。
念のためもう一度書きますが、2000年のことです。
情報技術の劇的発達は、
今まで存在した情報の「発し手」と「受け手」の関係を崩し
既成の社会的ヒエラルキーを崩壊させつつある。
社会を安定させてきた国家や企業や家族は、
その機能の変革を迫られ
個人が全人類と対峙する時代がやってきた。
コミュニケーションのコストは減少し、
地球規模のネットワークの中で
個人は多様な文化、多様な価値に、
直接対峙することになるだろう。
![]() |
会社案内の写真もこんな地球の絵が載ってた記憶があります |
同業他社にはなかったであろう、社会全体を見据えた上での先見の明?的な視点と
当時の企業ビジョンに、
とてつもない先進性を感じ、そして共感し、しびれ、
心を鷲掴みにされたものです。
個人が価値を発することができる時代・・・?
この会社に入ったら、そんな夢物語を紡ぎ出す仕事に携われるのかな?
そうしたら、
ものすごいワクワクできる未来が来る・・・。
そんな未来に思いを馳せつつ、
(実はイヤイヤでしたが)
入社を決めました。
入社してからは、ソーシャルネットワークのようなしくみを検討するチャンスは
無論、なく。
地道に金融機関向けシステムを作っていたわけですが。
今現在のようなソーシャルネットワークの時代が、
他社の力により出来上がっているのを客観視すると
なんとも言えず、感慨深いというか寂しいというか
そんな気持ちになります。
そんな気持ちを抱けたのは、
いまの会社がとにかく「嫌いだ嫌いだーーやめたいーーー」と言っている状況から
抜け出せたからだと思います(笑)。
「個人が全人類と対峙する時代」
社会インフラを提供してきたIT企業の中の
組織の中の一個人として
組織に埋没せずに
生きている今現在の、革命の一助でありたいと思っています。
※あまりに共感したので、2000年当時の手帳に写してあって、
それがあるから今でもその手帳を捨てられず、断捨離が進みません。
今回、ようやくブログに転記してバックアップ取れました(笑)。
2013/05/01
ことばは不自由、だからこそ、生み出す価値がある。
ことばの展覧会。
かれこれ13年前のこと。
ことばの持つインパクトをアートにした作品に
夢中になって、
買った展覧会本。
初版は1994年なんですね。
私の手元にあるものは、真っ白な表紙がだいぶ黄ばんでしまっている・・(汗
年齢不問
テーマは問わず
ひとり一点まで
日本語なら30文字以内
この条件で、
全国から集まった873点が、すべて収録されています。
こんな風に…
30文字以内の言葉が・・・
アートになる!
一つ一つ見ても面白いし、
まるで作者の心情が手に取るようにわかっちゃうのもあれば、
何じゃ、これ!なものまで、色とりどりです。
TwitterやFacebookが市民権を得て
いまは、ことばの発信に対する敷居は
ものすごく、低くなりました。
そのぶん、
うぅっ!!
と心を鷲掴みされることばに出会う確率は、
ことばの母数が多いので
準じて、低くなりますよね。。
こうして、一語一語を絞り出しつつ
はたまた、ピカーンと閃きながら
大切に生み出されたことばたちを見ていると、
ことばの可能性を再認識します。
もっと、絞り出したい!!
この喉から、手から、身体全体から!!
読んでくださっているあなたに、
伝わりますように。
かれこれ13年前のこと。
ことばの持つインパクトをアートにした作品に
夢中になって、
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初版は1994年なんですね。
私の手元にあるものは、真っ白な表紙がだいぶ黄ばんでしまっている・・(汗
年齢不問
テーマは問わず
ひとり一点まで
日本語なら30文字以内
この条件で、
全国から集まった873点が、すべて収録されています。
こんな風に…
30文字以内の言葉が・・・
アートになる!
一つ一つ見ても面白いし、
まるで作者の心情が手に取るようにわかっちゃうのもあれば、
何じゃ、これ!なものまで、色とりどりです。
TwitterやFacebookが市民権を得て
いまは、ことばの発信に対する敷居は
ものすごく、低くなりました。
そのぶん、
うぅっ!!
と心を鷲掴みされることばに出会う確率は、
ことばの母数が多いので
準じて、低くなりますよね。。
こうして、一語一語を絞り出しつつ
はたまた、ピカーンと閃きながら
大切に生み出されたことばたちを見ていると、
ことばの可能性を再認識します。
もっと、絞り出したい!!
この喉から、手から、身体全体から!!
読んでくださっているあなたに、
伝わりますように。
2013/04/21
先人たちの実績の上で、仕事をしているという事実
「ったく、誰だ!こんなシステム作ったのは!」
職場で、こんな声を聞いたことはありませんか?
もしくは、同じようなことを言ったことはないでしょうか?
私はかなりあります(笑)。
仕事の効率を上げるために作られたシステムなのに
使い勝手の悪い業務システムになっていたり。
仕事のリスクを減らすために作られたルールが
なんのためにやっているのかわからない内容になっていたりする。
システムやルールに限らずですが
少なからず、先人や他者や作ったものに文句を言いたくなる時がありますよね、、。
先日。
私が、会社で大変お世話になった方から、
とある言葉を教えて頂きました。
その方は、先日の2013年3月31日で
実に39年もの長きに渡り勤め上げた我が社を
定年退職されたのですが、
そのときの挨拶で引用しようとした言葉だったそうです。
その言葉とは。
「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」
「他に策がなかったんだ」というような意味。
この言葉、
沖縄返還をめぐり、当時の佐藤栄作首相の特命を受け、
極秘裏に米国との密約交渉にあたった、
若泉敬氏のものです。
佐藤首相は沖縄の「核抜き返還」を決めた共同声明に合意しました。
1972年のことです。
公式記録はここまで。
若泉氏によれば
両首脳は大統領執務室脇にある小部屋で、緊急時の核再持込に関して、
若泉氏とキッシンジャー補佐官の交渉で出来上がっていた密約文書に署名した。
これで沖縄にはアメリカは殆どいつでも核兵器を持ち込める、という
もとの状態に戻り、「核抜き返還」は形骸化してしまいました。
棺桶に入るまで秘密を持っていこうとした若泉氏は、
1994年、その形骸化の事実を公衆に晒し
2年後に自殺しています。
この言葉は、その告白した本のタイトルです。
※もとは、陸奥宗光の言葉からの引用だそうですが。
お世話になった方は、この言葉を引用することで、
時代の移り変わりや、環境の変化により、
自分が手がけた仕事が、先々他者から、
「誰がこんな風に作ったんだ」とか、
「何でこんな風になってるんだ」と、
酷評されてしまうこともあるだろう。
しかし、それを恐れる必要はない。
大事なのは、その瞬間・瞬間で、
「他に策はない」と思えるぐらい熟慮して仕事をすることだ。
その結果なんと言われようとも、己を恥じることはない。
という激励を残したかったそうです。
熟慮の末、
「俺のキャラじゃねーわ」ということで、
引用するのはやめてしまった、とのこと(笑)ですが・・・。
これを教えてもらい、目頭がギュッと熱くなりました。
こういった場面、確かに多いからです。
天才的な「先見の明」があれば話は別ですが
先を見越して仕事をしているつもりでも、
将来、何が起こるかわかりません。
予測不可能なことは沢山起こりますから。
過去にやってきた仕事が、
時が経てば不要なもの、意味の無いものに変わってしまうことなど、
よくあることです。
変化のスピードが激しい毎日において
ともすれば、先人たちの実績や仕事を踏み倒すことに
なんの躊躇も感じなくなります。
いとも簡単に
「なんでこんな仕様になってるんだ」と批判してしまうこと。
職場に横行しているのではないでしょうか。
わが身を振り返っても、身に覚えがありすぎます。
当然、現状に合わなくなってしまっているルールは、
変化を余儀なくさせられますが
その変化の最先端に立つときに、
もはや過去のものとなってしまった遺産に対し
「敬意」を持って接する。
自分が今やっている仕事は、先人たちの実績の賜物であり
その上に乗って仕事をしているに過ぎないのですよね。
そして将来、未来の人たちも、
私たちが上積みした実績の上に乗って、新しい仕事をしてくれる。
仕事というものは、そういうものなのですよね。
だから、今やっている仕事に対しても
「これ以上の策はない」と思うまでに考えて取り組みたいと思っています。
職場で、こんな声を聞いたことはありませんか?
もしくは、同じようなことを言ったことはないでしょうか?
私はかなりあります(笑)。
仕事の効率を上げるために作られたシステムなのに
使い勝手の悪い業務システムになっていたり。
仕事のリスクを減らすために作られたルールが
なんのためにやっているのかわからない内容になっていたりする。
システムやルールに限らずですが
少なからず、先人や他者や作ったものに文句を言いたくなる時がありますよね、、。
先日。
私が、会社で大変お世話になった方から、
とある言葉を教えて頂きました。
その方は、先日の2013年3月31日で
実に39年もの長きに渡り勤め上げた我が社を
定年退職されたのですが、
そのときの挨拶で引用しようとした言葉だったそうです。
その言葉とは。
「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」
「他に策がなかったんだ」というような意味。
この言葉、
沖縄返還をめぐり、当時の佐藤栄作首相の特命を受け、
極秘裏に米国との密約交渉にあたった、
若泉敬氏のものです。
![]() |
(C)NHK |
佐藤首相は沖縄の「核抜き返還」を決めた共同声明に合意しました。
1972年のことです。
公式記録はここまで。
若泉氏によれば
両首脳は大統領執務室脇にある小部屋で、緊急時の核再持込に関して、
若泉氏とキッシンジャー補佐官の交渉で出来上がっていた密約文書に署名した。
これで沖縄にはアメリカは殆どいつでも核兵器を持ち込める、という
もとの状態に戻り、「核抜き返還」は形骸化してしまいました。
棺桶に入るまで秘密を持っていこうとした若泉氏は、
1994年、その形骸化の事実を公衆に晒し
2年後に自殺しています。
この言葉は、その告白した本のタイトルです。
※もとは、陸奥宗光の言葉からの引用だそうですが。
お世話になった方は、この言葉を引用することで、
時代の移り変わりや、環境の変化により、
自分が手がけた仕事が、先々他者から、
「誰がこんな風に作ったんだ」とか、
「何でこんな風になってるんだ」と、
酷評されてしまうこともあるだろう。
しかし、それを恐れる必要はない。
大事なのは、その瞬間・瞬間で、
「他に策はない」と思えるぐらい熟慮して仕事をすることだ。
その結果なんと言われようとも、己を恥じることはない。
という激励を残したかったそうです。
熟慮の末、
「俺のキャラじゃねーわ」ということで、
引用するのはやめてしまった、とのこと(笑)ですが・・・。
これを教えてもらい、目頭がギュッと熱くなりました。
こういった場面、確かに多いからです。
天才的な「先見の明」があれば話は別ですが
先を見越して仕事をしているつもりでも、
将来、何が起こるかわかりません。
予測不可能なことは沢山起こりますから。
過去にやってきた仕事が、
時が経てば不要なもの、意味の無いものに変わってしまうことなど、
よくあることです。
変化のスピードが激しい毎日において
ともすれば、先人たちの実績や仕事を踏み倒すことに
なんの躊躇も感じなくなります。
いとも簡単に
「なんでこんな仕様になってるんだ」と批判してしまうこと。
職場に横行しているのではないでしょうか。
わが身を振り返っても、身に覚えがありすぎます。
当然、現状に合わなくなってしまっているルールは、
変化を余儀なくさせられますが
その変化の最先端に立つときに、
もはや過去のものとなってしまった遺産に対し
「敬意」を持って接する。
自分が今やっている仕事は、先人たちの実績の賜物であり
その上に乗って仕事をしているに過ぎないのですよね。
そして将来、未来の人たちも、
私たちが上積みした実績の上に乗って、新しい仕事をしてくれる。
仕事というものは、そういうものなのですよね。
だから、今やっている仕事に対しても
「これ以上の策はない」と思うまでに考えて取り組みたいと思っています。
2013/03/14
深海魚と私
唐突ですが、私は深海魚が好きです。
イメージデータSNSの草分けとなったPinterestで
ひそかに深海魚のボードを作っているのですが、
そこそこのフォロワーさんも付いて頂いてます(笑)。
先日、浅野塾で講師をさせて頂いた様子を、
浅野先生がブログに書いてくださったのですが、
そこの休憩時間でも、
私の深海魚フリークっぷりがフィーチャーされており(笑)。
(ストラップに深海魚を使っているところを記事にされるとは!!)
とかく、「変わった趣味だねー」と、
なかばいぶかしげに言われることが多いのですが。
なぜ深海魚が好きなのか。
理由は色々です。
摩訶不思議な生態系(ほぼ謎のまま)や
一般人の生活の中からは思いつかないほど、
超クリエイティブなスガタカタチ。
生命の起源までをも想起させてくれ、
見れば見るほど、引き込まれてしまいます。
しかし、その知的好奇心(?)をくすぐる以上に、大きな理由があります。
それは、
彼らの生き様、そのものが好きなのです。
人間は足を踏み入れることの出来ない深海で
(といいつつ最近、ダイオウイカの撮影に成功したといって、かなり盛り上がりましたね!)
ひっそりと静かに生き続けているかのように見えますが。
生命体としては過酷な状況の中、
自らの身体を、変態させながら、生き続けている。
その事例を出せば、枚挙に暇がありません。
例えば・・
虹色の光線を発光させたり
鼻を極端に進化させたり
身体を透明にし、器官を丸見えにしたり。。。
とにかくさまざまです。
ただ生きるために、
自分そのものを変化させている。
そして、その姿はどの深海魚を見ても
一つとして似ているものはない。
先般、お亡くなりになった、大大リスペクトの大島渚監督。
あのお方が好きだった言葉に、こんなものがあります。
「深海に生きる魚族のやうに、
自らが燃えなければ何処にも光はない」
私が深海魚を好きなのは、
自らを燃やし、光を見つけて生きている、
そのひたむきな生き様が
根底にあるのだと思っています。
こちらの言葉、会葬御礼にもプリントされていました。
もともとは、 明石海人の歌集「白猫」にある冒頭文です。↓
生きていると、苦しいことは沢山あります。
が、それでもやはり、自らが、燃えなくてはならない。
そこに、救いがあるのだと思います。
生命としての基本が、深海魚に結集されているなと思っています。
![]() |
有名なリュウグウノツカイ。美しいですね。 |
イメージデータSNSの草分けとなったPinterestで
ひそかに深海魚のボードを作っているのですが、
そこそこのフォロワーさんも付いて頂いてます(笑)。
先日、浅野塾で講師をさせて頂いた様子を、
浅野先生がブログに書いてくださったのですが、
そこの休憩時間でも、
私の深海魚フリークっぷりがフィーチャーされており(笑)。
(ストラップに深海魚を使っているところを記事にされるとは!!)
とかく、「変わった趣味だねー」と、
なかばいぶかしげに言われることが多いのですが。
なぜ深海魚が好きなのか。
理由は色々です。
摩訶不思議な生態系(ほぼ謎のまま)や
一般人の生活の中からは思いつかないほど、
超クリエイティブなスガタカタチ。
生命の起源までをも想起させてくれ、
見れば見るほど、引き込まれてしまいます。
しかし、その知的好奇心(?)をくすぐる以上に、大きな理由があります。
それは、
彼らの生き様、そのものが好きなのです。
人間は足を踏み入れることの出来ない深海で
(といいつつ最近、ダイオウイカの撮影に成功したといって、かなり盛り上がりましたね!)
ひっそりと静かに生き続けているかのように見えますが。
生命体としては過酷な状況の中、
自らの身体を、変態させながら、生き続けている。
その事例を出せば、枚挙に暇がありません。
例えば・・
虹色の光線を発光させたり
鼻を極端に進化させたり
![]() |
ふたつの目のように見えるのは鼻の穴です。ちなみに、頭が透けてます・・(汗) |
身体を透明にし、器官を丸見えにしたり。。。
とにかくさまざまです。
ただ生きるために、
自分そのものを変化させている。
そして、その姿はどの深海魚を見ても
一つとして似ているものはない。
先般、お亡くなりになった、大大リスペクトの大島渚監督。
あのお方が好きだった言葉に、こんなものがあります。
「深海に生きる魚族のやうに、
自らが燃えなければ何処にも光はない」
私が深海魚を好きなのは、
自らを燃やし、光を見つけて生きている、
そのひたむきな生き様が
根底にあるのだと思っています。
こちらの言葉、会葬御礼にもプリントされていました。
もともとは、 明石海人の歌集「白猫」にある冒頭文です。↓
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生きていると、苦しいことは沢山あります。
が、それでもやはり、自らが、燃えなくてはならない。
そこに、救いがあるのだと思います。
生命としての基本が、深海魚に結集されているなと思っています。
2012/09/22
いま、そこにある「貧困」
いま読んでいる本です。
アメリカでの出版は2005年です。
今から7年も前なのですが、その内容には古さをほとんど感じません。
(状況は当然古いものもありますが、コアは新鮮さを帯びています。)
最近、
いわゆる「ホワイトカラー」が従事するルーチン・ワークの大部分を、
「BPO(Business Process Outsourcing)」として、
(現時点で)比較的賃金の安い中国やインドにどんどんアウトソースしていますね。
私の勤めている会社でも、中国のグループ会社に間接業務をアウトソースすることが
多くなりました。
アウトソース先と絡みつつ仕事しながら思うのは、
これまで日本人同士だから通じていた
「少し間違えちゃったけど今回だけは勘弁してよ」
という日本人的融通が通じなくなったということです。
業務のアウトプットに正確性が増し、ルール遵守率が高くなった
という副次効果もあるでしょうが、
融通が効かないということは
アウトソースされている現場の人々は、
「何のための作業なのか」を理解しないままに指示通り、黙々とこなしている状況なんじゃないかと
感じてしまうのです。
こういうところから徐々に、
「作業の形骸化→なくてもいい仕事」化
になってるんじゃ、、なんて思ってしまいます。(もちろん、すべてじゃないですよ)
そんな作業は、委託せずに、いっそのことなくしてしまえばいいのに・・・。
みたいな英断ができないのも、日本らしいところですが・・・。
さて、話がそれましたが、この本には
ルーチン・ワークの大部分がアウトソースされることにより
「先進国のいわゆるホワイトカラーは、
海外に委託できないような新たな能力
を身に付ける必要に迫られている。
そして、(IT化による)オートメーションにより、
ひと昔前のブルーカラー労働者がロボットに職を奪われたのと同じような影響を、
現代のホワイトカラー労働者も受け始めた。」
と書かれています。
今、目の前にある、新しい貧困といっても過言ではないでしょう。
ご飯を食べていくためには
ITが出来ないような新しい能力(=ハイ・コンセプト)
を身に付ける必要性がある、ということ。
現在の私はITを売る身ですが
「海外に委託できないような新たな能力」 とは、
どのような新しい目的のために、どうITを活用していくのかを考え、
それをわかりやすく表現できる力ではないかと私は思います。
この力を駆使して提案しないことには、
いくら価格を安くしても
価値のない提案として、採用してもらえなくなってきているのです。
後半部分の、「活用方法」については、練習すれば表現することは出来るでしょう。
難しいのは、
お客様の課題や目的ってなんなのか、を
議論して現場に行って見て考えて、わかりやすく示唆すること。
みんな、さまざまな組織力学の中にいる。
ギュウギュウな満員電車の中で、無理矢理動いているようなものですから。
教科書通りのきれいごとを言ったって仕方ないんですよね。
「それはわかってますよ、でもね・・」って言われるだけです。
・ お客様の全てを見ながら(静的情報から、顔色まで!)
・ そのお客様に最も合う表現の仕方で、わかりやすく示唆する
・ 時には主張して納得してもらう
その力を鍛えるために、日々営業の現場で Try & Error していますが、
この本にも何かヒントが隠されてないかな~、と
後半も一気に読んでみたいと思います!
アメリカでの出版は2005年です。
今から7年も前なのですが、その内容には古さをほとんど感じません。
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最近、
いわゆる「ホワイトカラー」が従事するルーチン・ワークの大部分を、
「BPO(Business Process Outsourcing)」として、
(現時点で)比較的賃金の安い中国やインドにどんどんアウトソースしていますね。
私の勤めている会社でも、中国のグループ会社に間接業務をアウトソースすることが
多くなりました。
アウトソース先と絡みつつ仕事しながら思うのは、
これまで日本人同士だから通じていた
「少し間違えちゃったけど今回だけは勘弁してよ」
という日本人的融通が通じなくなったということです。
業務のアウトプットに正確性が増し、ルール遵守率が高くなった
という副次効果もあるでしょうが、
融通が効かないということは
アウトソースされている現場の人々は、
「何のための作業なのか」を理解しないままに指示通り、黙々とこなしている状況なんじゃないかと
感じてしまうのです。
こういうところから徐々に、
「作業の形骸化→なくてもいい仕事」化
になってるんじゃ、、なんて思ってしまいます。(もちろん、すべてじゃないですよ)
そんな作業は、委託せずに、いっそのことなくしてしまえばいいのに・・・。
みたいな英断ができないのも、日本らしいところですが・・・。
さて、話がそれましたが、この本には
ルーチン・ワークの大部分がアウトソースされることにより
「先進国のいわゆるホワイトカラーは、
海外に委託できないような新たな能力
を身に付ける必要に迫られている。
そして、(IT化による)オートメーションにより、
ひと昔前のブルーカラー労働者がロボットに職を奪われたのと同じような影響を、
現代のホワイトカラー労働者も受け始めた。」
と書かれています。
今、目の前にある、新しい貧困といっても過言ではないでしょう。
ご飯を食べていくためには
ITが出来ないような新しい能力(=ハイ・コンセプト)
を身に付ける必要性がある、ということ。
現在の私はITを売る身ですが
「海外に委託できないような新たな能力」 とは、
どのような新しい目的のために、どうITを活用していくのかを考え、
それをわかりやすく表現できる力ではないかと私は思います。
この力を駆使して提案しないことには、
いくら価格を安くしても
価値のない提案として、採用してもらえなくなってきているのです。
後半部分の、「活用方法」については、練習すれば表現することは出来るでしょう。
難しいのは、
お客様の課題や目的ってなんなのか、を
議論して現場に行って見て考えて、わかりやすく示唆すること。
みんな、さまざまな組織力学の中にいる。
ギュウギュウな満員電車の中で、無理矢理動いているようなものですから。
教科書通りのきれいごとを言ったって仕方ないんですよね。
「それはわかってますよ、でもね・・」って言われるだけです。
・ お客様の全てを見ながら(静的情報から、顔色まで!)
・ そのお客様に最も合う表現の仕方で、わかりやすく示唆する
・ 時には主張して納得してもらう
その力を鍛えるために、日々営業の現場で Try & Error していますが、
この本にも何かヒントが隠されてないかな~、と
後半も一気に読んでみたいと思います!
2012/09/09
野菜を先に。
こんな時間に、お腹が空きました~・・・。ぐぅ
最近、食事の際に「まず野菜を食す」という健康法を取り入れて
お肉やお魚にありつく前に、まずはひたすら野菜を頂くようにしています。
そう、巷ではやっている野菜を先に食べるダイエットです。
私も半信半疑でしたが、齢30も過ぎると、
やはりどうしても余計なものが
体にこびりついているのが目に見えて分かります・・・。うぅ・・・
というわけで、身の回りのオーバー30達を巻き添えにしてやることになったのですが
みんな、「お通じの調子が(失礼)すこぶる良くなった!!」と絶好調(腸)です。
とはいえ、自炊ならまだしも、特別な外食の場面では、こうもいかないですね。
先日、大学の友人の結婚のお祝いで!
何度かお世話になっている
田町のイタリアン、ラ・チャウさんにお邪魔しました。
シェフの馬渡さんは、必ずご機嫌伺いに全てのテーブルにいらっしゃいます。
シェフの満面の笑顔に癒され
従業員の方の、ウィットに富んだカジュアルトークも笑えます。
なんというカスタマーサティスファクション、、、(涙)
ちなみに、なんとこの日、メインのお肉には、鶏のとさかが入ってました。
(どうやらこのお店の得意技のようです)
ゼラチンみたいな感じで、コラーゲンがふんだんに入っている食感!
はじめてのとさか。
生き物の全てをありがたく頂く、そんな姿勢も素晴らしいです。
こういうときは、野菜を先に・・・なんていう考えは吹っ飛び
ただただ、お出しいただけるものを有難く、そして残さずに頂戴しました。
とーーっても美味しいお料理の数々とともに、
大事な友人のお祝いが出来て、幸せな時間を過ごしました。
こういう幸せな食事は、太らないものと信じています(笑)。
最近、食事の際に「まず野菜を食す」という健康法を取り入れて
お肉やお魚にありつく前に、まずはひたすら野菜を頂くようにしています。
「野菜の食物繊維が先に入ることで、
小腸での糖の吸収がゆっくりとなって、
血糖値が急上昇することを防ぎます」そう、巷ではやっている野菜を先に食べるダイエットです。
私も半信半疑でしたが、齢30も過ぎると、
やはりどうしても余計なものが
体にこびりついているのが目に見えて分かります・・・。うぅ・・・
というわけで、身の回りのオーバー30達を巻き添えにしてやることになったのですが
みんな、「お通じの調子が(失礼)すこぶる良くなった!!」と絶好調(腸)です。
とはいえ、自炊ならまだしも、特別な外食の場面では、こうもいかないですね。
先日、大学の友人の結婚のお祝いで!
何度かお世話になっている
田町のイタリアン、ラ・チャウさんにお邪魔しました。
たくさんのサマートリュフ!を削って頂きました☆ |
シェフの馬渡さんは、必ずご機嫌伺いに全てのテーブルにいらっしゃいます。
シェフの満面の笑顔に癒され
従業員の方の、ウィットに富んだカジュアルトークも笑えます。
なんというカスタマーサティスファクション、、、(涙)
ちなみに、なんとこの日、メインのお肉には、鶏のとさかが入ってました。
(どうやらこのお店の得意技のようです)
ゼラチンみたいな感じで、コラーゲンがふんだんに入っている食感!
はじめてのとさか。
生き物の全てをありがたく頂く、そんな姿勢も素晴らしいです。
こういうときは、野菜を先に・・・なんていう考えは吹っ飛び
ただただ、お出しいただけるものを有難く、そして残さずに頂戴しました。
とーーっても美味しいお料理の数々とともに、
大事な友人のお祝いが出来て、幸せな時間を過ごしました。
こういう幸せな食事は、太らないものと信じています(笑)。
2012/08/13
いじめられている君へ
最近、大きな事件を機に、「いじめ」が大きく取り上げられています。
朝日新聞の連載が、とてもいいなぁと思っていて、
私の若い時代にも、こういうコラムがあれば、かなり勇気付けられたのにな、と思います。
私の場合、いじめではないですけど
親友と思っていた子から、無視攻撃にあったことがあります。
小学5年生のときと、高校3年生のときに。
仲良くなった友達が、急に私を無視するようになりました。
気まぐれのように無視をしたかと思えば
次の日には何事もなかったかのように仲良くしてくれる。
しかし、その次の日はまた無視・・・。
ランダムなその子たちの行動は、理解ができず
ほとほと悩み苦しみました。
当時の自分は、住んでいる世界が狭く
1日の時間はとても長い。
学校のクラスという狭い世界で、長い時間、
ひたすら無視をされるというのは
自分の存在を否定されているも同然で、
非常にきついものでした。
※このときの経験が、実は私の強みの源泉になっていたというのが
最近わかり、それが日経新聞にも載せていただいた内容なのですが
今回は省略します。知りたい方はこちらの記事をどうぞ。
小学5年生と高校3年生、どちらの時代でも、
私の何か、
(それは例えば、発言や、態度、行動、、色々だったのでしょうが・・・)
が、彼女たちの癪に障ったのだと思います。
知らず、彼女たちを傷つけていたのかもしれません。
むしろ自業自得だったのかも、 とも思いましたし、
各学校を卒業した後も、長期間、悩み煩いました。
でも何が原因だったのかは、私には結局わからず仕舞いでしたが
今では、原因を掘り起こしたいとすら思いません。
私の場合、精神的ないじめしか受けたことがなく、
暴力的なものは経験がないので、そのあたりはなんとも言えませんが
その前提で思ったことを書きます。
今、いじめを経験して苦しんでいる人が、一人でも楽になってくれればいいと思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~
いじめられている君へ。
キツい事実かもしれないけど。
いじめをなくす、なんていうのは
社会が形成された中で生きている以上、不可能です。
だから
いじめの原因というものは、あまり考える必要はありません。
「いじめられる」という出来事は
どんな人でも、どんな世界でも
必ず起こることとして
ある意味、
腹をくくった方がよいと思っています。
「腹をくくる」というと、
そんなの嫌だと思われるだろうし
「泣く泣くいじめを受け入れろっていうのか?」と
思われるかもしれませんが、
決してそうではありません。
腹をくくる、とは、
いじめにあったときの対処方法を知っておくことと同じです。
対処方法を知っておけば
実際にいじめられたとき、
「お、いじめてきたな、暇人め・・・」
これぐらいの余裕を持てます。
気になる対処方法は3つ。
①かわいそうな暇人を同情してあげる。
実際に、いじめてくる人々は、心にぽっかりと穴がある人、
悪く言うと、暇人が多いと思います。
なぜなら、自分の生活を充実させようとしていたり
楽しく生きようとしている人は
自分のことに一生懸命ですから
人を不快にさせて幸せ、とは思わないものです。
つまり、かわいそうな人たちなのです。
いじめてくる人たちを同情した方がいいのかもしれない、とすら思えます(笑)。
そのあたりを理解しておくと
いじめられても、それを全身で受け止めず、さらりと流してしまえば
いいのです。
反応がないと、いじめる側もじきに飽きてきます。
②我慢できなくなったら、アッサリ辞める。
自分の人生、 これから沢山の出会いがあります。
今の環境が全てではありません。
毎日の学校が嫌だったら
少し我慢してみて、それでもダメなら
辞めてしまえばいい、と思います。
学校は忍耐の場です。
みんな、我慢しています。
私は、正直楽しい思い出はそんなに多くありません。
だけど、自分の力量以上に我慢する必要はありません。
ギブアップするのは、恥ずかしいことじゃないし、
そもそも、努力や忍耐は、自分の好きな場面で使った方が、断然お得です。
③住む世界をシフトしてみる。
いじめという理不尽さを我慢した分、
実は、自分の糧にもなります。
でもとにかく、
「世界は広い」ということを、知って欲しい。
まずは、学校以外のコミュニティに参加してみたらどうでしょう。
スポーツ教室でもいいし、
塾でもいい。
バーチャルの、インターネットでもいいと思う。
そうすると、自分が生きていた世界の狭さに気づくし、
他のコミュニティでは、違う自分のキャラクターがいる(実際にはそれも自分自身だけど)ことに
気づくと思います。
入る前から、「そこでもいじめられたらどうしよう?」なんて思わなくて大丈夫。
いじめられたら、また辞めればいい(笑)。
そう気楽に考えたら、何も怖いものはないのです。
そもそも、あなたはまず、
生まれてきただけでじゅうぶん価値がある。
それだけを信じていれば、
あなたを待っている世界があります。
いじめ暇人達の気持ちをあれこれ推測するのではなく、
朝日新聞の連載が、とてもいいなぁと思っていて、
私の若い時代にも、こういうコラムがあれば、かなり勇気付けられたのにな、と思います。
私の場合、いじめではないですけど
親友と思っていた子から、無視攻撃にあったことがあります。
小学5年生のときと、高校3年生のときに。
仲良くなった友達が、急に私を無視するようになりました。
気まぐれのように無視をしたかと思えば
次の日には何事もなかったかのように仲良くしてくれる。
しかし、その次の日はまた無視・・・。
ランダムなその子たちの行動は、理解ができず
ほとほと悩み苦しみました。
当時の自分は、住んでいる世界が狭く
1日の時間はとても長い。
学校のクラスという狭い世界で、長い時間、
ひたすら無視をされるというのは
自分の存在を否定されているも同然で、
非常にきついものでした。
※このときの経験が、実は私の強みの源泉になっていたというのが
最近わかり、それが日経新聞にも載せていただいた内容なのですが
今回は省略します。知りたい方はこちらの記事をどうぞ。
小学5年生と高校3年生、どちらの時代でも、
私の何か、
(それは例えば、発言や、態度、行動、、色々だったのでしょうが・・・)
が、彼女たちの癪に障ったのだと思います。
知らず、彼女たちを傷つけていたのかもしれません。
むしろ自業自得だったのかも、 とも思いましたし、
各学校を卒業した後も、長期間、悩み煩いました。
でも何が原因だったのかは、私には結局わからず仕舞いでしたが
今では、原因を掘り起こしたいとすら思いません。
私の場合、精神的ないじめしか受けたことがなく、
暴力的なものは経験がないので、そのあたりはなんとも言えませんが
その前提で思ったことを書きます。
今、いじめを経験して苦しんでいる人が、一人でも楽になってくれればいいと思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~
いじめられている君へ。
キツい事実かもしれないけど。
いじめをなくす、なんていうのは
社会が形成された中で生きている以上、不可能です。
だから
いじめの原因というものは、あまり考える必要はありません。
「いじめられる」という出来事は
どんな人でも、どんな世界でも
必ず起こることとして
ある意味、
腹をくくった方がよいと思っています。
「腹をくくる」というと、
そんなの嫌だと思われるだろうし
「泣く泣くいじめを受け入れろっていうのか?」と
思われるかもしれませんが、
決してそうではありません。
腹をくくる、とは、
いじめにあったときの対処方法を知っておくことと同じです。
対処方法を知っておけば
実際にいじめられたとき、
「お、いじめてきたな、暇人め・・・」
これぐらいの余裕を持てます。
気になる対処方法は3つ。
①かわいそうな暇人を同情してあげる。
実際に、いじめてくる人々は、心にぽっかりと穴がある人、
悪く言うと、暇人が多いと思います。
なぜなら、自分の生活を充実させようとしていたり
楽しく生きようとしている人は
自分のことに一生懸命ですから
人を不快にさせて幸せ、とは思わないものです。
つまり、かわいそうな人たちなのです。
いじめてくる人たちを同情した方がいいのかもしれない、とすら思えます(笑)。
そのあたりを理解しておくと
いじめられても、それを全身で受け止めず、さらりと流してしまえば
いいのです。
反応がないと、いじめる側もじきに飽きてきます。
②我慢できなくなったら、アッサリ辞める。
自分の人生、 これから沢山の出会いがあります。
今の環境が全てではありません。
毎日の学校が嫌だったら
少し我慢してみて、それでもダメなら
辞めてしまえばいい、と思います。
学校は忍耐の場です。
みんな、我慢しています。
私は、正直楽しい思い出はそんなに多くありません。
だけど、自分の力量以上に我慢する必要はありません。
ギブアップするのは、恥ずかしいことじゃないし、
そもそも、努力や忍耐は、自分の好きな場面で使った方が、断然お得です。
③住む世界をシフトしてみる。
いじめという理不尽さを我慢した分、
実は、自分の糧にもなります。
でもとにかく、
「世界は広い」ということを、知って欲しい。
まずは、学校以外のコミュニティに参加してみたらどうでしょう。
スポーツ教室でもいいし、
塾でもいい。
バーチャルの、インターネットでもいいと思う。
そうすると、自分が生きていた世界の狭さに気づくし、
他のコミュニティでは、違う自分のキャラクターがいる(実際にはそれも自分自身だけど)ことに
気づくと思います。
入る前から、「そこでもいじめられたらどうしよう?」なんて思わなくて大丈夫。
いじめられたら、また辞めればいい(笑)。
そう気楽に考えたら、何も怖いものはないのです。
そもそも、あなたはまず、
生まれてきただけでじゅうぶん価値がある。
それだけを信じていれば、
あなたを待っている世界があります。
いじめ暇人達の気持ちをあれこれ推測するのではなく、
自分を大事にしてください。
本当に。
2012/07/18
7/17 日経新聞にて記事になりました【キャリアアップについて】
自分に向き合い、自分を知るということに取り組んだ件について・・・
「自分に向き合わないといけない時が来ました」
「本当のConnecting the Dots作業をしました」
かねてより、ブログで何度かPostしましたが、
浅野ヨシオさんという塾長率いる塾
幕末の志士さながら、
混迷の時代をどうにか切り開こうとする血気盛んな志士たちを率いた
松下村塾の現代女性版と名高い私塾・・・
その名も
「浅野塾」
私はここで、四ヶ月間、めいっぱい走り抜けたのですが
その取り組みがなんと、本日7月17日(火)日本経済新聞(朝刊)19面に紹介されました。
※浅野塾長のブログでの、新聞記事に関するポストはこちらに。
この記事の中で、当時の塾生代表ということで、
私の実例を取材していただき、記事に取り上げてくださいました。
お持ちの方、是非ご一読いただければ幸いです。
2012年7月17日付日本経済新聞(朝刊) 19面【キャリアアップ】 |
日本に冠たる全国ビジネス経済紙の、しかもキャリアアップという面において、
「自分の強みは何か」
こういう記事が載るということは、
いかに日本の現代のビジネスパーソンが、惑っているか。
ということの表れでもあると、私は思っています。
これまでになく迅速に変化する世界。
過去の成功事例なんてものは、なんの参考にもならないし
世の中にも、自分の身の回りにも、問題はあふれんばかり・・・。
何から取り組んでみればいいのか。
一つの方に目を向けすぎると、今度は他の方が疎かになっているようで不安になる。。
特に、女性の場合はまた厄介で。
私の場合は、自分で意識していたわけではないのに
周囲や世間は
「女性らしく」
「女性でも」
「女性なんだから」
「女性なのに」
とかなんとか、四段活用さながら、”女性かんむり”のお言葉を、色々と言ってくるわけですね。
窮屈で仕方ないけど、それに従わないと、
なんとなく世界からはじき者にされそうだから、従ってみるとか
従ったら、また価値観が変わったから、また違う方に従ってみるとか・・・。
なんとも、忙しく、せわしなく、切ないサガだなと思います。
私自身が、まさにそうでした。
でも、こんな中でもたった一つだけ、ゆるぎのない、確実なことがあります。
それは何か?
自分自身と、自分の力です。
最後に残るもの、それは究極的には、やはり自分しかいない。
核たる自分がないと、周りの人を幸せすることすら出来ないし
仕事だって、つまらないのは当然なんです。
この事実に、本当の意味で気づけるかどうか
そして、自分の核ってなんなんだ?ということに、真面目に向き合えるか、
これが、将来の自分に違いをもたらすと、私は信じています。
ところで・・・
海外渡航中の友人が日経新聞を読んでくれたのですが、
こんな写真が送られてきました・・・
友人「・・・おい、全国どころか、全世界だぞNIKKEI」
・・・ひたすら、恐縮です(汗
とにかく、浅野さん、日経新聞さん、
取材の機会、本当にありがとうございました!!大変貴重な経験でした。
取材いただき、記事にして頂いたことを忘れずに、
自分が見つけたユニークさを活かし
社会に貢献できる場を、貪欲に見つけていきたいと思っています。
とにかく、行動あるのみです。
2012/06/27
微生物で、美しさと健康を手に入れ、早起きも可能に!?
社会課題を解決するビジネスを仕掛け、
世界経済フォーラムが選出しているヤング・グローバル・リーダーズに
選出してもらえることが私の大いなる野望なのですが。
今年の3月のこと。
世界経済フォーラムにより、
2012年のヤング・グローバル・リーダーズ(※)の選出結果が発表された時に
選出された日本人の中で、出雲充さんという方がいらっしゃいました。
そのお名前の横に、当時の私にとっては見慣れぬ企業名を見つけました。
※ヤング・グローバル・リーダーズは、
社会のあらゆる分野で実績を上げ、
将来の国際舞台における活躍が期待される40歳以下のリーダーとして
毎年、世界経済フォーラムが、推薦により世界各地から選出・表彰しています。
その名も、、
株式会社ユーグレナ
ゆーぐれな??
なにそれ!
なんか、最先端IT系のベンチャーかしら??
その名前の奇天烈な感じから、
ちょっと気になってしまい、その際調べたのですが、、
ユーグレナとは、なんと、
我々世代が小学校の理科の実験で顕微鏡で一度は見た・・
ミドリムシ∞カンパニー!!
つまり、ミドリムシの会社なのです。
「ミドリムシの会社の社長が、
なんでヤング・グローバル・リーダーズに選ばれるんだ?」
ホームページを見れば、それは明白でした。
この会社、
東京大学農学部での、たった一人で始めたミドリムシ大量培養の研究を
ビジネスにまで持って行ったのです。
ミドリムシが本来持つ、
人間が本来必要なほぼ全ての栄養素を作り出すという特性に目をつけ
これがあれば、
食料問題、貧困問題、環境問題の解決につながるのではないか?
という崇高なミッションを掲げています。
まさに、Creating Shared Value (共通価値の創造)なビジネス。
ヤング・グローバル・リーダーに選出されるのも頷けます。
あ、これ、実は
栄養満点なので。
健康と美容とダイエットに、最適らしいのです・・・。
社会のためにも、女性のためにもなるとは・・・。
おまけに、
「朝スッキリ起きれるようになりました」
なんていうお客様の声もあったものだから
私が購入ボタンをクリックする手を止めることは不可能に近い。
ようやく先日、ユーグレナを発注し、本日手元に届きました~☆
どれだけ、仕事を頑張っても
体がヘロヘロでは、かっこ悪い。
それに、最後は体力がモノを言うのがビジネスというもの。
おいしくミドリムシを摂取して、元気な日々を送ろうと思います。
経過観察し、またご報告しますね。
世界経済フォーラムが選出しているヤング・グローバル・リーダーズに
選出してもらえることが私の大いなる野望なのですが。
今年の3月のこと。
世界経済フォーラムにより、
2012年のヤング・グローバル・リーダーズ(※)の選出結果が発表された時に
選出された日本人の中で、出雲充さんという方がいらっしゃいました。
そのお名前の横に、当時の私にとっては見慣れぬ企業名を見つけました。
※ヤング・グローバル・リーダーズは、
社会のあらゆる分野で実績を上げ、
将来の国際舞台における活躍が期待される40歳以下のリーダーとして
毎年、世界経済フォーラムが、推薦により世界各地から選出・表彰しています。
その名も、、
株式会社ユーグレナ
ゆーぐれな??
なにそれ!
なんか、最先端IT系のベンチャーかしら??
その名前の奇天烈な感じから、
ちょっと気になってしまい、その際調べたのですが、、
ユーグレナとは、なんと、
我々世代が小学校の理科の実験で顕微鏡で一度は見た・・
![]() |
(引用元:株式会社ユーグレナ公式HP) |
ミドリムシのことだったのです!!
ミドリムシ∞カンパニー!!
つまり、ミドリムシの会社なのです。
「ミドリムシの会社の社長が、
なんでヤング・グローバル・リーダーズに選ばれるんだ?」
ホームページを見れば、それは明白でした。
この会社、
東京大学農学部での、たった一人で始めたミドリムシ大量培養の研究を
ビジネスにまで持って行ったのです。
ミドリムシが本来持つ、
人間が本来必要なほぼ全ての栄養素を作り出すという特性に目をつけ
これがあれば、
食料問題、貧困問題、環境問題の解決につながるのではないか?
という崇高なミッションを掲げています。
まさに、Creating Shared Value (共通価値の創造)なビジネス。
ヤング・グローバル・リーダーに選出されるのも頷けます。
あ、これ、実は
栄養満点なので。
健康と美容とダイエットに、最適らしいのです・・・。
社会のためにも、女性のためにもなるとは・・・。
おまけに、
「朝スッキリ起きれるようになりました」
なんていうお客様の声もあったものだから
私が購入ボタンをクリックする手を止めることは不可能に近い。
ようやく先日、ユーグレナを発注し、本日手元に届きました~☆
どれだけ、仕事を頑張っても
体がヘロヘロでは、かっこ悪い。
それに、最後は体力がモノを言うのがビジネスというもの。
おいしくミドリムシを摂取して、元気な日々を送ろうと思います。
経過観察し、またご報告しますね。
2012/06/25
日本の嫉妬の業を失くせないか?
日本経済新聞電子版がスタートした時から連載されていた
日本電産社長の永守 重信さんのブログが
6月20日をもって最後のポストになりました。
凄腕の経営者ながらも、人間味あふれるブログで
毎回楽しみにしていましたが、
最後のブログは、「一生懸命働き、思うように生きよ!」 でした。
その中で、特に印象に残った部分を引用します。
「今のままで十分幸せだ。苦労して出世しなくてもいい。
成長しない日本で頑張ってもむなしい――。
このように考える若者が増えているという。
夢をかなえるため、一生懸命働くことの素晴らしさを、
日本ではなぜ実感できなくなってしまったのだろうか。
成功した人に対する嫉妬心が強すぎる社会だからではないか。
日本ほど、事業で成功した人を敬わない国も珍しい。
頑張っても報われない、夢のない国になってしまった。
多くの税金を払っても、補助金をもらっても、悪平等でみんな同じ扱いだ。 」
。。。
嫉妬。
よく見ると、女へんの二つの漢字を組み合わせた、
なんとも言えない、イヤ~な言葉・・・。
私自身も、自分の醜い嫉妬心に悩まされたこともありますし、
嫉妬心から巻き起こる(と思われる)仲間はずれに悩み苦しんだこともあります。
最初は小学生時代にまでさかのぼりますが
保育園や幼稚園時代まで、親の保護のもと、
温室の中で、ぬくぬくと愛情いっぱい育ててもらっていたのが
小学生になると、小さいながらも「社会」という集団に放り込まれます。
自分が中心で一番だった世界で生きていたのが
急に、競争社会に移り
自分よりも優れた人がいて、
自分よりも誉められたり
人気者になったりする場面を
目の当たりにする。
算数の授業では計算の速い子が
国語の授業ではいち早く作者の気持ちを言葉に表せる子が
体育の授業では足の速い子が
休み時間は、面白いことを言える子が
放課後では、容姿のかわいい子が
それぞれの場面において、目立ち、憧れの視線を浴びる。
それが良い意味での「反骨心」につながればいいのでしょうが、
特に女の子の場合は、ドロドロとした「嫉妬心」で満たされてしまうことが多く
普通に楽しく生きていたいだけなのに
幼いながらも
自分の本当の姿を抑圧したり、
不本意な行動に従ったりしなければ、
世の中を渡っていけないと思ってしまう。
自己を確立するために
幼少期のこのような試練は、大事なことだと思っています。
しかし、
私は、それが大人になってからも幾度と無く続いてしまうことには
とても悲しいことだと思います。
嫉妬心が渦巻き、足をひっぱりまくる場面を沢山見てきました。
永守さんがおっしゃっているように
こんな状況では、会社や組織が活力を失っていくのは
無理もないことだと思います。
じゃあ、教育が悪いと一概に言えるのか?
それも違うと思います。
ゆとりの教育が良いとも悪いともいえませんが、
ゆとり教育だから嫉妬心がなくなるか?にはNOだと思います。
嫉妬をせずに、のびのびと、でも一生懸命に生きれる社会。
日本が陥っているこの状況を開く活路は、
どこかにあるはず。
自分もそれに苦しむことがあるからこそ、
しばらくこれをテーマに、自分なりの答えを探してみようと思っています。
日本電産社長の永守 重信さんのブログが
6月20日をもって最後のポストになりました。
凄腕の経営者ながらも、人間味あふれるブログで
毎回楽しみにしていましたが、
最後のブログは、「一生懸命働き、思うように生きよ!」 でした。
その中で、特に印象に残った部分を引用します。
「今のままで十分幸せだ。苦労して出世しなくてもいい。
成長しない日本で頑張ってもむなしい――。
このように考える若者が増えているという。
夢をかなえるため、一生懸命働くことの素晴らしさを、
日本ではなぜ実感できなくなってしまったのだろうか。
成功した人に対する嫉妬心が強すぎる社会だからではないか。
日本ほど、事業で成功した人を敬わない国も珍しい。
頑張っても報われない、夢のない国になってしまった。
多くの税金を払っても、補助金をもらっても、悪平等でみんな同じ扱いだ。 」
。。。
嫉妬。
よく見ると、女へんの二つの漢字を組み合わせた、
なんとも言えない、イヤ~な言葉・・・。
私自身も、自分の醜い嫉妬心に悩まされたこともありますし、
嫉妬心から巻き起こる(と思われる)仲間はずれに悩み苦しんだこともあります。
最初は小学生時代にまでさかのぼりますが
保育園や幼稚園時代まで、親の保護のもと、
温室の中で、ぬくぬくと愛情いっぱい育ててもらっていたのが
小学生になると、小さいながらも「社会」という集団に放り込まれます。
自分が中心で一番だった世界で生きていたのが
急に、競争社会に移り
自分よりも優れた人がいて、
自分よりも誉められたり
人気者になったりする場面を
目の当たりにする。
算数の授業では計算の速い子が
国語の授業ではいち早く作者の気持ちを言葉に表せる子が
体育の授業では足の速い子が
休み時間は、面白いことを言える子が
放課後では、容姿のかわいい子が
それぞれの場面において、目立ち、憧れの視線を浴びる。
それが良い意味での「反骨心」につながればいいのでしょうが、
特に女の子の場合は、ドロドロとした「嫉妬心」で満たされてしまうことが多く
普通に楽しく生きていたいだけなのに
幼いながらも
自分の本当の姿を抑圧したり、
不本意な行動に従ったりしなければ、
世の中を渡っていけないと思ってしまう。
自己を確立するために
幼少期のこのような試練は、大事なことだと思っています。
しかし、
私は、それが大人になってからも幾度と無く続いてしまうことには
とても悲しいことだと思います。
嫉妬心が渦巻き、足をひっぱりまくる場面を沢山見てきました。
永守さんがおっしゃっているように
こんな状況では、会社や組織が活力を失っていくのは
無理もないことだと思います。
じゃあ、教育が悪いと一概に言えるのか?
それも違うと思います。
ゆとりの教育が良いとも悪いともいえませんが、
ゆとり教育だから嫉妬心がなくなるか?にはNOだと思います。
嫉妬をせずに、のびのびと、でも一生懸命に生きれる社会。
日本が陥っているこの状況を開く活路は、
どこかにあるはず。
自分もそれに苦しむことがあるからこそ、
しばらくこれをテーマに、自分なりの答えを探してみようと思っています。
2012/06/13
本当のConnecting the Dots 作業をしました
Appleの創始者のSteve Jobs。
2005年のスタンフォード大学の卒業式におけるスピーチはあまりにも有名ですね。
スピーチの中には、3つのstoryがありましたが、
その中でも私が一番好きなのは、最初に語ったstoryの
"Connecting the Dots"
です。
(ご存知ない方はこちらからご覧ください)
Steveは、里親に高い学費を払わせてまで大学に行くことに疑問を持ち
リード大学をドロップアウト(退学)します。
そのかわり、自分の好きな「カリグラフィー(日本でいう書道)」のクラスに
モグリをすることで、字体の造形美を学んだのですが、
実はそれが、あのマッキントッシュに美しいフォントを入れる原点になっていた、というわけです。
この一連の流れについて、Steveはこう語ります。
「・・・
大学を辞めていなければ、その授業に出会うことはなかったでしょう。
そして、美しいフォントを搭載したパソコンも誕生することはなかったでしょう。
もちろん、その出来事のつながりを予想することは、不可能でした。
しかし10年後に振り返ると、ものすごく明らかなことなのです。
点と点のつながりは、予測できるものではありません。
後で振り返って、点のつながりに気づくのです。
ですから、今やっていることが、どこかに繋がると、信じてください。
その点が、どこかに繋がると信じていれば
他人と違う道を歩いていても
自信を持って、歩き通せるからです。
それが、あなたの人生に違いをもたらします。 」
私にはもともと、好きな言葉が二つありました。
一つ目は、映画の中で、乳がんを克服した女性が笑顔で言ったセリフ
"Everything happens for a reason"
(すべてのことは、理由があって起こっている)
二つ目は、 高校を卒業する時に古文の先生が教えてくれた昔のことば
「艱難、汝を珠にす」
(人は困難や苦労を乗り越えることによって、初めて立派な人間に成長する)
なので、このSteveのスピーチを初めて聞いたときは、
「そうそう、まさにその通り!」と感動したものです。
日々忙しい日常の中で、悪いこと・嫌なことが起こっても
この二つの言葉や、Steveのスピーチで、自分を鼓舞してきました。
しかし・・・・
人間というのは弱いもの。
そうは言っても、いよいよ、33歳の私・・・
将来どうするんだろう・・・
このままこの仕事をダラダラ続けるのか・・・
自分自身が磨耗しているだけのような気がする・・・
本当の幸せはどこに・・・
私って、こんな生き方したかったんだっけ・・・
私の強みはなんなんだろう・・・
社会に役立つ人間なんだろうか・・・
みたいな、悶々とした考えが、ずっと頭を支配していました。
悶々としては、鼓舞して、そしてまたすぐくじけて悶々とする。
負のスパイラルですね。
それが最近、突き抜けることが出来たんです・・・。オドロキ。
突き抜けるきっかけは、まさに、
"Connecting the Dots"
を見つける作業を「本気で」やったからです。
本気でやれる環境を見つけ、飛び込んでみたからです。
自分のDots、つまり、過去の点(出来事)というのは
無関係のようでいて、必ず今現在の自分自身の血となり骨となっているものです。
悪いことであっても、悲しいことであっても。
ものすごい情けないことでも。
人間として、倫理的に責められるようなことであったとしても。
それら全てに価値があり、それはつまり、自分にも価値があることに繋がります。
それをいかに客観視できるか。
ありのままを肯定できるか。
これが出来たあとの自分の、清清しさと言ったら・・・。
Steveのスピーチが好きな人は、たーくさんいると思います。が
実感を伴うためには、自分の過去の点を掘り起こすことをオススメします。
私の場合、一人でやるんじゃ孤独でイヤだったし、
私の性格上、誰も見てくれてないと、たぶんやり通せないと思ったので(笑)
ものすごいアツイ先生がやっている塾に通って、
先生や仲間と、ひたすら濃厚な4ヶ月間を過ごしました。
自分ひとりじゃ出来ない人や
Steve Jobsのスピーチに感動した人
自分の強みがわからなくて、自信がない人には
本当にオススメです。
2005年のスタンフォード大学の卒業式におけるスピーチはあまりにも有名ですね。
スピーチの中には、3つのstoryがありましたが、
その中でも私が一番好きなのは、最初に語ったstoryの
"Connecting the Dots"
です。
(ご存知ない方はこちらからご覧ください)
Steveは、里親に高い学費を払わせてまで大学に行くことに疑問を持ち
リード大学をドロップアウト(退学)します。
そのかわり、自分の好きな「カリグラフィー(日本でいう書道)」のクラスに
モグリをすることで、字体の造形美を学んだのですが、
実はそれが、あのマッキントッシュに美しいフォントを入れる原点になっていた、というわけです。
この一連の流れについて、Steveはこう語ります。
「・・・
大学を辞めていなければ、その授業に出会うことはなかったでしょう。
そして、美しいフォントを搭載したパソコンも誕生することはなかったでしょう。
もちろん、その出来事のつながりを予想することは、不可能でした。
しかし10年後に振り返ると、ものすごく明らかなことなのです。
点と点のつながりは、予測できるものではありません。
後で振り返って、点のつながりに気づくのです。
ですから、今やっていることが、どこかに繋がると、信じてください。
その点が、どこかに繋がると信じていれば
他人と違う道を歩いていても
自信を持って、歩き通せるからです。
それが、あなたの人生に違いをもたらします。 」
私にはもともと、好きな言葉が二つありました。
一つ目は、映画の中で、乳がんを克服した女性が笑顔で言ったセリフ
"Everything happens for a reason"
(すべてのことは、理由があって起こっている)
二つ目は、 高校を卒業する時に古文の先生が教えてくれた昔のことば
「艱難、汝を珠にす」
(人は困難や苦労を乗り越えることによって、初めて立派な人間に成長する)
なので、このSteveのスピーチを初めて聞いたときは、
「そうそう、まさにその通り!」と感動したものです。
日々忙しい日常の中で、悪いこと・嫌なことが起こっても
この二つの言葉や、Steveのスピーチで、自分を鼓舞してきました。
しかし・・・・
人間というのは弱いもの。
そうは言っても、いよいよ、33歳の私・・・
将来どうするんだろう・・・
このままこの仕事をダラダラ続けるのか・・・
自分自身が磨耗しているだけのような気がする・・・
本当の幸せはどこに・・・
私って、こんな生き方したかったんだっけ・・・
私の強みはなんなんだろう・・・
社会に役立つ人間なんだろうか・・・
みたいな、悶々とした考えが、ずっと頭を支配していました。
悶々としては、鼓舞して、そしてまたすぐくじけて悶々とする。
負のスパイラルですね。
それが最近、突き抜けることが出来たんです・・・。オドロキ。
突き抜けるきっかけは、まさに、
"Connecting the Dots"
を見つける作業を「本気で」やったからです。
本気でやれる環境を見つけ、飛び込んでみたからです。
自分のDots、つまり、過去の点(出来事)というのは
無関係のようでいて、必ず今現在の自分自身の血となり骨となっているものです。
悪いことであっても、悲しいことであっても。
ものすごい情けないことでも。
人間として、倫理的に責められるようなことであったとしても。
それら全てに価値があり、それはつまり、自分にも価値があることに繋がります。
それをいかに客観視できるか。
ありのままを肯定できるか。
これが出来たあとの自分の、清清しさと言ったら・・・。
Steveのスピーチが好きな人は、たーくさんいると思います。が
実感を伴うためには、自分の過去の点を掘り起こすことをオススメします。
私の場合、一人でやるんじゃ孤独でイヤだったし、
私の性格上、誰も見てくれてないと、たぶんやり通せないと思ったので(笑)
ものすごいアツイ先生がやっている塾に通って、
先生や仲間と、ひたすら濃厚な4ヶ月間を過ごしました。
自分ひとりじゃ出来ない人や
Steve Jobsのスピーチに感動した人
自分の強みがわからなくて、自信がない人には
本当にオススメです。
2012/04/15
自分に向き合わないといけない時が来ました。
今年の2月から、本格的に自分の掘り起こしをはじめました。
ここに至る経緯は話せば長くなりますので、また別途。
自分の日常に対し、
「何かおかしい」と湧き上がるこの問いの答えを
探したい欲求に
ものすごい力で耐えてきた私。
自分自身に疑問符を提示できず、
いままで、なんとなく決まったレールに乗ったまま
惰性で激務を続ける日々。
なぜ答えを探さなかったのでしょう?
「じゃあ、おまえには何ができるんだ?」と問われたとき
何も出てこないのがわかっていたし、
その事実に直面することが怖かったから。
ポテンシャル
なんていう、優しい言葉では、もう誤魔化してもらえませんから。
でも、いよいよそのときが来たようなのです。
価値観が変革し、一通りでは定まらない。
これまでもたれかかってきたものが、一瞬にしてなくなりうる時代。
個人の力が試される時代への回路を
私は 開くことができるか。
いま、出会うべくして出会えた師について
己の掘り起こしをしています。
好きな英語のレッスンもしばらくお休み。
自分と向き合う孤独な作業は
暗い闇を手探りで歩いているようなもので
唯一の道しるべは、「あなたには価値がある」と断言してくれる
師の言葉だけ。
常識や世間体や知識や学問といった長い螺旋階段をすっ飛ばして
抑圧の鎖を引きちぎり
世界が見渡せる高い広い位置に、ポーンと立つことが出来るのかな?
ここに至る経緯は話せば長くなりますので、また別途。
自分の日常に対し、
「何かおかしい」と湧き上がるこの問いの答えを
探したい欲求に
ものすごい力で耐えてきた私。
自分自身に疑問符を提示できず、
いままで、なんとなく決まったレールに乗ったまま
惰性で激務を続ける日々。
なぜ答えを探さなかったのでしょう?
「じゃあ、おまえには何ができるんだ?」と問われたとき
何も出てこないのがわかっていたし、
その事実に直面することが怖かったから。
ポテンシャル
なんていう、優しい言葉では、もう誤魔化してもらえませんから。
でも、いよいよそのときが来たようなのです。
価値観が変革し、一通りでは定まらない。
これまでもたれかかってきたものが、一瞬にしてなくなりうる時代。
個人の力が試される時代への回路を
私は 開くことができるか。
いま、出会うべくして出会えた師について
己の掘り起こしをしています。
好きな英語のレッスンもしばらくお休み。
自分と向き合う孤独な作業は
暗い闇を手探りで歩いているようなもので
唯一の道しるべは、「あなたには価値がある」と断言してくれる
師の言葉だけ。
常識や世間体や知識や学問といった長い螺旋階段をすっ飛ばして
抑圧の鎖を引きちぎり
世界が見渡せる高い広い位置に、ポーンと立つことが出来るのかな?
2012/01/26
ダボス会議が始まりました
今日は石けん記事をUPしようと思ったのですが、昨日から始まったダボス会議のストリーミングに夢中で、記事が書けませんでした。
ドイツのメルケル首相の力強いスピーチとQAには目が釘付けでした。
盛んに「ヨーロッパ」「強いドイツ」という言葉が繰り返され、その存在感たるや他国の首相やリーダー達を圧倒しています。
その後、クリスタル賞というアーティストに送られる賞の一人目として、五嶋みどりさんが選ばれていました。
ミュージシャンとしての活動も有名ですが、コミュニティー・エンゲージメント活動という社会貢献活動が注目を浴びています。
クリスタル賞の選考基準は、アーティストとして社会に強い影響を与えてきていることだそうです。
二人目の受賞者は、リュック・ベッソンでした。
同じ日本人として、本当にうれしいですし、私も地道な社会貢献していきたいと心を新たにしました。
何をしたいか、何ができるか、を真剣に考え、どんなアイデアであっても、すぐに実行に移していくことが大事なのですが、日々の仕事に忙殺され、めまぐるしく毎日が過ぎて行ってしまいます。
ここで、自分の時間をいかにコントロールするか、一日はみな24時間ですから、工夫して、やりくりして、また仕事の能率を上げることを第一目標にしたいと思います。
ドイツのメルケル首相の力強いスピーチとQAには目が釘付けでした。
盛んに「ヨーロッパ」「強いドイツ」という言葉が繰り返され、その存在感たるや他国の首相やリーダー達を圧倒しています。
その後、クリスタル賞というアーティストに送られる賞の一人目として、五嶋みどりさんが選ばれていました。
ミュージシャンとしての活動も有名ですが、コミュニティー・エンゲージメント活動という社会貢献活動が注目を浴びています。
クリスタル賞の選考基準は、アーティストとして社会に強い影響を与えてきていることだそうです。
二人目の受賞者は、リュック・ベッソンでした。
同じ日本人として、本当にうれしいですし、私も地道な社会貢献していきたいと心を新たにしました。
何をしたいか、何ができるか、を真剣に考え、どんなアイデアであっても、すぐに実行に移していくことが大事なのですが、日々の仕事に忙殺され、めまぐるしく毎日が過ぎて行ってしまいます。
ここで、自分の時間をいかにコントロールするか、一日はみな24時間ですから、工夫して、やりくりして、また仕事の能率を上げることを第一目標にしたいと思います。
2012/01/02
気分を新たに
新年が明けたので、今年一年への思いを新たに、日々の思いや考えを書き残して生きたいと思っています。ソーシャルネットワークとしてFACEBOOKやTwitterをメインに使い始め(mixiは最早放置状態ですが、そういう人多いのでは?)、それらを追いかけているだけでも時間が過ぎてしまうので、どうしてもブログまでには手が届きませんでした。使い分けに少し混乱するかもしれませんが、考えながらやっていきたいと思っています。
いつも見ている番組ですが、つい最近のクールでやっていたNHKの白熱教室で、コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の「選択は力なり」をテーマとした講義が大変興味深かったというのも、改めてブログをつけようと思った理由でもあります。
教授いわく、毎日は選択の連続です。どんな些細な行動でもそう。
極端に言えば「今起きるか、このまま寝るか」も選択の一つですね。
あまたある選択肢の中から、より良い選択をするために、まず「何を知っているのか」を自分に問い、その「知っていることから、枠組みを変えて正反対の視点で考える」ことが重要なのだそうです。
とはいえ、人生において間違った選択はつきもの。より良い選択ができるようになるために、第3回の講義「選択日記のすすめ」 では「選択日記」をつけることが薦められています。
・ 何を選択したか、何を選択しなかったか。
・ その選択をするのにどのくらいの時間考えたのか。途中でどんなことを考えたか。
・ その選択は、どんな結果をもたらしたか。うまくいったか。
何を間違えたか、何がうまくいって何が失敗したか。
ブログですべてを書き連ねることは無理ですが、特にインパクトの大きかったものについては書き残して、皆さんのご意見もいただきつつ、Vital Lifeにしていこうと思っています。
いつも見ている番組ですが、つい最近のクールでやっていたNHKの白熱教室で、コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の「選択は力なり」をテーマとした講義が大変興味深かったというのも、改めてブログをつけようと思った理由でもあります。
教授いわく、毎日は選択の連続です。どんな些細な行動でもそう。
極端に言えば「今起きるか、このまま寝るか」も選択の一つですね。
あまたある選択肢の中から、より良い選択をするために、まず「何を知っているのか」を自分に問い、その「知っていることから、枠組みを変えて正反対の視点で考える」ことが重要なのだそうです。
とはいえ、人生において間違った選択はつきもの。より良い選択ができるようになるために、第3回の講義「選択日記のすすめ」 では「選択日記」をつけることが薦められています。
・ 何を選択したか、何を選択しなかったか。
・ その選択をするのにどのくらいの時間考えたのか。途中でどんなことを考えたか。
・ その選択は、どんな結果をもたらしたか。うまくいったか。
何を間違えたか、何がうまくいって何が失敗したか。
ブログですべてを書き連ねることは無理ですが、特にインパクトの大きかったものについては書き残して、皆さんのご意見もいただきつつ、Vital Lifeにしていこうと思っています。
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