今回は「理想の管理職像」はちょっとお休みして、
以前にPostした記事「『自分の知らない自分』を知っていますか」にもあるのですが、
自ら得た体験談より、コラムを少し。
自分に対するフィードバックをもらう ことについて。
良好な人間関係において
先生・生徒の間柄や、
正直に言い合えるような親しい間柄でなければ、たいていは
自分への酷な評価というものは、もらえないものです。
誰しも、面と向かってそんなことは、言いたくないという人が大半ではないかと思います。
程度の差こそあれ、少なからず確実に、相手を傷つけますし(苦笑)。
しかし、
そのフィードバックを「敢えてもらう」「もらえる相手を探す」ということは
社会の中において、自分を自分らしく生かす上で、
とても重要です。
「他人が自分をどう思ってるか、なんて関係ないや!」みたいなことを
若かりしころ、私は思っていたのですが
自分が認識している自分(私)は、
だいたい、
他人が認識している”自分(私)”の
「10倍増し」でキラキラしています。
これを自己愛といったり
自意識過剰とも言いますけど、
そういう、厭味な話をしたいわけではないのです。
誰しもが、こういう状況になっていると思うのです。
キラキラな自分像 vs 他人から見える自分
この間には、多かれ少なかれ、必ずギャップがあります。
どれだけ、どんなギャップがあるのか
それを、自己判断ではなく人から教えてもらうことにより、
自分の改善ポイントに自ら気づき、修正していくことができます。
つまり、なりたい自分になるための答えは、自分の中から掘り出せるのです。
しかし、ギャップを知らないことには、
そして、ギャップを教えてくれる人がいないことには、
改善のしようがありません。
私は今、職場の同僚や友人に
正直に、実直に、私がどう見えているのか教えて欲しい、と
お願いをしています。
案の定、かなり、ショックを受けております(苦笑)。
でも、何度か教えてもらううちに、ショック状態からの立ち直りが早くなり
それよりも、そのギャップを埋めるために
自分をどう改善すればよいか、見えてくる方が楽しくなってきます。
職場などで、これから、フィードバックを得る機会のある方は、
どうぞ、その実直なフィードバックを実直に受け取り、
キラキラ自分像(理想像)とのギャップを
冷静に感じてみてくださいね。
ここからはじまりだと思うのです。
The world is changing so fast.
Following a conventional path does not work any more.
So I am now creating new social value as a life-work.
2013/06/15
2013/05/03
未来は、過去からのレールの上にはない
今から12年後の、2025年。
どんな世界になって、
私たちは、一体どんな人生を歩んでいるだろうか。
(なんと私は47歳。ギャッ!!)
数々の環境変化を産業革命にまでさかのぼって分析し、
有能なアナリストたちとタスク・フォースを組み、
そこから考えられる2025年の社会と、
そこに生存する人々の生き方・働き方を細かく描いている本です。
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はじめは、
映画のようなSF混じりの物語に過ぎないんじゃないかな
と思っていました。
それはそれで娯楽としていいかな、と。 面白いお話は嫌いじゃないし、、
しかし、そんな楽観的に受け止められる本ではありませんでした。
それは、 著書の正直な意図に、深刻な真剣さを見たからです。
「未来の世界を予測することに意味があるのかと、疑念がわくときもある。
それでも研究を進めるほど、この作業に大きな価値があると確信するようになった。
あなたが、私が、そして私たちの大切な人たちが適切な選択と決断をするためには
なんらかの現実的な未来像をもっておくことが欠かせないからだ。」
こう語る著者は、リンダ・クラットンさん。
ロンドン・ビジネススクールの教授で、経営組織論の世界的権威です。
リンクの表紙イメージにもある通り、
イギリスのタイムズ紙では
「世界のトップビジネス思想家15人」のひとりに選ばれています。
実は、この帯を取ったあとの本の表紙には、
孤独。。
貧困。。。
こういう暗い言葉が、2025年を予測するキーワードとして並んでいます。
どんな2025年になっていたとしても、
私たちが、真に自分の人生に意義を見出し
幸せに生きるには、幸せになるための働き方をするには、
どうしたら良いのか。
著者は、三つの”シフト”が必要という提言をしています。
① ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ
② 孤独な競争から「○○」へ
③ 大量消費から「○○」へ
私は、①の「連続スペシャリスト」案に最も頷きましたし、
「あ、私もかなりヤバイ・・・」と、冷や汗が流れました・・・。
というのも私自身、以前のPostした「いま、そこにある貧困」にも
労働の空洞化について書いたのですが、
この空洞化は、私が思う以上に、
極端に格差を作りながら進みそうだというのがわかったからです。
自動化されるような仕事はロボットやIT(コンピュータ)が請け負い、
誰がやってもいいような仕事は、(その時点で)自国よりも人件費の安い国へ出されます。
非常に高度な技能が必要とされる仕事と、
誰でもできるけれども、地元に長くい続けなければ出来ない仕事だけが残ります。
(エリア縛りの仕事ですね)
その中間、つまり、事務職や
低いレベルの管理職はすべてなくなってしまうのです。
これらは夢物語ではなく、必然的に起こる変化でしょう。
「起こってから考えよう」というEvent-Driven的な発想ではなく、
来るべき変化に備え、今から準備しておく必要性が高い話だと思います。
どういう技能を身に付け、どんなマインドで生きていくべきなのか、
そのヒントを、この「ワーク・シフト」から得ることが出来ます。
しかし、そのヒントを得るのは、本を読めば誰でもできます。
実際に、シフトを「する」「しない」というのは、
あなた自身の選択です。
その選択をした結果起こることは、自分自身が負うしかありません。
時代の流れがそうだから、
メディアがそう言っているから、
有名な人がそう言っているから、
という理由で選択するのではなく。
自分にとって何が本当の「価値」なのか、
自分が「幸せ」であるというのはどういうことなのか。
それがわからない限り、「シフトする選択」を実行には移しても
自分の幸せはわからないと思います。
「なべの中のカエルと同じように、私たちは仕事の世界で
『気づかないうちに積み重なる既成事実』に慣らされてはいないか」
作者が作中でこう表現したように、
いまの会社や働き方になんとなく漠然とした不安を持っているけれども、
現状はどうせ変わらないことを根拠なく信じている働き盛りのサラリーマンの方に
特にオススメしたい本です。
(すごくピンポイントな対象者でスミマセンが(笑))
あ、3つのシフトのうち、
②と③のシフトのタイトルについては
Amazonの「なか見!検索」で見れますので
気になる方は是非チラ見してみてください。
今回は、Kindle Paperwhiteで読みました(^^)
Kindleで読むと、どこでも気軽に一緒に持ち運べるので、
読み終わるのが早い気がします。
心なしか、1ページ読み終わるスピードも速くなっているかも?
予定調和への反抗
「予定調和」に、反抗したい。
最近の欲望です。
でも日常生活の中を振り返ると、予定調和が、すごく多いです。
予定調和とは、計画通りにきれいに終わる、ということです。
会社のミドル層の人々は
「よし、シャンシャンだな」と言ったり
「これは出来レースだから」と言ったりします。そう、あの瞬間ですよ~。
「出来レース」なんて言葉は特に、皮肉というか、
自嘲の感情が入っている言葉のようにさえ私は感じます。
心の中では、「ホントはかっこ悪いんだけどさ」 と
言葉にならない前置きがついてるような気がしてなりません。
とはいえ、「安心」なんですよね。
予定通りに終わると・・・。ホッとしますよね。
だからこそ、平穏こそ幸せ、という価値観を否定する気は
もちろんないのです。
では、「予定調和」から敢えて外れてみると、
どんなことが起こるのでしょう?
仕事だったら、打ち合わせや商談、
セミナーやプレゼンテーション。
プライベートではデートや女子会とか。合コンとかも?
なんでもいいんですけど、想像してみてください。
以前、仕事でこんなことがありました。
私は、お客様のところに打ち合わせに行く前には必ず、
「こう進めよう」、「この言葉を頂けるようにしよう」、という「シナリオ(腹案)」を作っています。
シナリオと言っても、セリフがビッシリ書かれている台本ではありません。
抑えどころ(ポイント)と、話の流れだけを想定しておく、というイメージです。
一人で打ち合わせに臨むときは、
自分とお客様との間の距離を縮めて、
密な空気の中で話を進めるのが好きなのですが、
私のほかに同行者がいる場合は、そういうわけにはいきません。
先日、上司と一緒にお客様のところを訪問したのですが
事前に話し合っていたシナリオや段取りを
最初から無視して
予定していなかったストーリーで話を進めはじめたのです。
『ちょっとちょっと、昨日の作戦会議はなんだったのよ・・・』 と、
思わず裏切り者のように感じてしまいました。
私にとっては、ある意味「予定調和」でなくなってしまったわけです。
打ち合わせ終了直後は、なんともいえない、
まるで上司が24のジャック・バウワーのように見えたものですが、
(この例えはわかりにくいか、、笑)
実はこのときの打ち合わせ。
予定調和が裏切られたことにより
私が想像していた以上の、「前向き」な結論が得られたのです!!
もちろん、結果論かもしれませんが。
この結果に戸惑ってしまったと同時に、
予定調和に無意識にこだわりすぎている自分に
気づいたのです。
打ち合わせのシナリオを考える際に、
予定調和に敢えて反抗してみた場合を想像してみると、
セカンドシナリオも考えやすくなりました。
複数のシナリオを用意しておいて、
当日のお客様の動向や、顔色を見つつ、
チョイスすればよいのです。
そうすると、想像以上の結果が生まれたりします。
こんなこと言えないな・・けど、敢えて言ってみたり。
失礼にあたるから、聞くのはやめてみよう、、でも今日は敢えて聞いてみたり。
「予定調和に反抗する」
これによって生まれる可能性は、無限大です。
失敗も無限大だけど(笑)、だからこそ面白いと私は思います!
最近の欲望です。
でも日常生活の中を振り返ると、予定調和が、すごく多いです。
予定調和とは、計画通りにきれいに終わる、ということです。
会社のミドル層の人々は
「よし、シャンシャンだな」と言ったり
「これは出来レースだから」と言ったりします。そう、あの瞬間ですよ~。
「出来レース」なんて言葉は特に、皮肉というか、
自嘲の感情が入っている言葉のようにさえ私は感じます。
心の中では、「ホントはかっこ悪いんだけどさ」 と
言葉にならない前置きがついてるような気がしてなりません。
とはいえ、「安心」なんですよね。
予定通りに終わると・・・。ホッとしますよね。
だからこそ、平穏こそ幸せ、という価値観を否定する気は
もちろんないのです。
では、「予定調和」から敢えて外れてみると、
どんなことが起こるのでしょう?
仕事だったら、打ち合わせや商談、
セミナーやプレゼンテーション。
プライベートではデートや女子会とか。合コンとかも?
なんでもいいんですけど、想像してみてください。
以前、仕事でこんなことがありました。
私は、お客様のところに打ち合わせに行く前には必ず、
「こう進めよう」、「この言葉を頂けるようにしよう」、という「シナリオ(腹案)」を作っています。
シナリオと言っても、セリフがビッシリ書かれている台本ではありません。
抑えどころ(ポイント)と、話の流れだけを想定しておく、というイメージです。
一人で打ち合わせに臨むときは、
自分とお客様との間の距離を縮めて、
密な空気の中で話を進めるのが好きなのですが、
私のほかに同行者がいる場合は、そういうわけにはいきません。
先日、上司と一緒にお客様のところを訪問したのですが
事前に話し合っていたシナリオや段取りを
最初から無視して
予定していなかったストーリーで話を進めはじめたのです。
『ちょっとちょっと、昨日の作戦会議はなんだったのよ・・・』 と、
思わず裏切り者のように感じてしまいました。
私にとっては、ある意味「予定調和」でなくなってしまったわけです。
打ち合わせ終了直後は、なんともいえない、
まるで上司が24のジャック・バウワーのように見えたものですが、
(この例えはわかりにくいか、、笑)
実はこのときの打ち合わせ。
予定調和が裏切られたことにより
私が想像していた以上の、「前向き」な結論が得られたのです!!
もちろん、結果論かもしれませんが。
この結果に戸惑ってしまったと同時に、
予定調和に無意識にこだわりすぎている自分に
気づいたのです。
打ち合わせのシナリオを考える際に、
予定調和に敢えて反抗してみた場合を想像してみると、
セカンドシナリオも考えやすくなりました。
複数のシナリオを用意しておいて、
当日のお客様の動向や、顔色を見つつ、
チョイスすればよいのです。
そうすると、想像以上の結果が生まれたりします。
こんなこと言えないな・・けど、敢えて言ってみたり。
失礼にあたるから、聞くのはやめてみよう、、でも今日は敢えて聞いてみたり。
「予定調和に反抗する」
これによって生まれる可能性は、無限大です。
失敗も無限大だけど(笑)、だからこそ面白いと私は思います!
2012/11/19
「自分の知らない自分」を知っていますか。
「自分の知らない自分」
って、、
そんなものは存在しないと思いますよね。
自分をコントロールするのは自分だから。
でもいるんです。
それはすなわち、
「周りから見た自分」です。
社会の中では、その自分こそが、本来の自分であったりしています。
「自分の知らない自分は、いつも耳が痛い・見るに耐えないものだよ。
でも、その自分の本質は、周りの人も本気でなければ見抜けない。」
と、友人がアドバイス(禿同メール)してくれました。
家業を継いで仕事をしている、同世代の友人です。
周りから見た自分って、自分が思っている自分とだいぶ違うものです。
鏡で見る自分や、記念撮影の自分は、だいたい「イイ顔」をしているし
頭の中では、すごくいいアイデアや、心に刺さる言葉を繰り返している。
でも、それが表に出ていない。
それが出せなければ、
周りから見た自分は、自分が知っている自分じゃないんです。
自分の意見は、自分が言いたかった意見として受け取ってもらえないのです。
ここに気づかないでいると、
誤解も生むし、悲しいですよね。
で、本当の自分は違うのにー!と、ヤケになってしまう(笑)。。
今回、自分の醜さを思い知る出来事があって、
非常にショックを受けてしまったのですが
(うすうす気づいていたけど、目の当たりにして)
こういう気づきが得る機会を、自ら探しに行き、体当たりしてみる。というのは
良いめぐり合わせです。
気持ちよい人間関係をコツコツと構築するのは、とても大事。
生きていく上では、必要なSafety Netです。
ですが、敢えて、”本気の人”のいる厳しい社会に飛び込んでみて
ものすごいバッシングを受けてみると、
いかに自分がたるんだ顔をしていたかがわかります。
総じて甘かった。
落ち込む前に、次はどうすればいいのかを考えて、一つずつ変えてみる。
気持ちの良い人間関係の中で、本来の自分を隠していなかっただろうか振り返る。
難しい。でもやってみる。
ひどいオバサンになってしまう前に、出来ることが沢山ある。
って、、
そんなものは存在しないと思いますよね。
自分をコントロールするのは自分だから。
でもいるんです。
それはすなわち、
「周りから見た自分」です。
社会の中では、その自分こそが、本来の自分であったりしています。
「自分の知らない自分は、いつも耳が痛い・見るに耐えないものだよ。
でも、その自分の本質は、周りの人も本気でなければ見抜けない。」
と、友人がアドバイス(禿同メール)してくれました。
家業を継いで仕事をしている、同世代の友人です。
周りから見た自分って、自分が思っている自分とだいぶ違うものです。
鏡で見る自分や、記念撮影の自分は、だいたい「イイ顔」をしているし
頭の中では、すごくいいアイデアや、心に刺さる言葉を繰り返している。
でも、それが表に出ていない。
それが出せなければ、
周りから見た自分は、自分が知っている自分じゃないんです。
自分の意見は、自分が言いたかった意見として受け取ってもらえないのです。
ここに気づかないでいると、
誤解も生むし、悲しいですよね。
で、本当の自分は違うのにー!と、ヤケになってしまう(笑)。。
今回、自分の醜さを思い知る出来事があって、
非常にショックを受けてしまったのですが
(うすうす気づいていたけど、目の当たりにして)
こういう気づきが得る機会を、自ら探しに行き、体当たりしてみる。というのは
良いめぐり合わせです。
気持ちよい人間関係をコツコツと構築するのは、とても大事。
生きていく上では、必要なSafety Netです。
ですが、敢えて、”本気の人”のいる厳しい社会に飛び込んでみて
ものすごいバッシングを受けてみると、
いかに自分がたるんだ顔をしていたかがわかります。
総じて甘かった。
落ち込む前に、次はどうすればいいのかを考えて、一つずつ変えてみる。
気持ちの良い人間関係の中で、本来の自分を隠していなかっただろうか振り返る。
難しい。でもやってみる。
ひどいオバサンになってしまう前に、出来ることが沢山ある。
2012/07/18
7/17 日経新聞にて記事になりました【キャリアアップについて】
自分に向き合い、自分を知るということに取り組んだ件について・・・
「自分に向き合わないといけない時が来ました」
「本当のConnecting the Dots作業をしました」
かねてより、ブログで何度かPostしましたが、
浅野ヨシオさんという塾長率いる塾
幕末の志士さながら、
混迷の時代をどうにか切り開こうとする血気盛んな志士たちを率いた
松下村塾の現代女性版と名高い私塾・・・
その名も
「浅野塾」
私はここで、四ヶ月間、めいっぱい走り抜けたのですが
その取り組みがなんと、本日7月17日(火)日本経済新聞(朝刊)19面に紹介されました。
※浅野塾長のブログでの、新聞記事に関するポストはこちらに。
この記事の中で、当時の塾生代表ということで、
私の実例を取材していただき、記事に取り上げてくださいました。
お持ちの方、是非ご一読いただければ幸いです。
2012年7月17日付日本経済新聞(朝刊) 19面【キャリアアップ】 |
日本に冠たる全国ビジネス経済紙の、しかもキャリアアップという面において、
「自分の強みは何か」
こういう記事が載るということは、
いかに日本の現代のビジネスパーソンが、惑っているか。
ということの表れでもあると、私は思っています。
これまでになく迅速に変化する世界。
過去の成功事例なんてものは、なんの参考にもならないし
世の中にも、自分の身の回りにも、問題はあふれんばかり・・・。
何から取り組んでみればいいのか。
一つの方に目を向けすぎると、今度は他の方が疎かになっているようで不安になる。。
特に、女性の場合はまた厄介で。
私の場合は、自分で意識していたわけではないのに
周囲や世間は
「女性らしく」
「女性でも」
「女性なんだから」
「女性なのに」
とかなんとか、四段活用さながら、”女性かんむり”のお言葉を、色々と言ってくるわけですね。
窮屈で仕方ないけど、それに従わないと、
なんとなく世界からはじき者にされそうだから、従ってみるとか
従ったら、また価値観が変わったから、また違う方に従ってみるとか・・・。
なんとも、忙しく、せわしなく、切ないサガだなと思います。
私自身が、まさにそうでした。
でも、こんな中でもたった一つだけ、ゆるぎのない、確実なことがあります。
それは何か?
自分自身と、自分の力です。
最後に残るもの、それは究極的には、やはり自分しかいない。
核たる自分がないと、周りの人を幸せすることすら出来ないし
仕事だって、つまらないのは当然なんです。
この事実に、本当の意味で気づけるかどうか
そして、自分の核ってなんなんだ?ということに、真面目に向き合えるか、
これが、将来の自分に違いをもたらすと、私は信じています。
ところで・・・
海外渡航中の友人が日経新聞を読んでくれたのですが、
こんな写真が送られてきました・・・
友人「・・・おい、全国どころか、全世界だぞNIKKEI」
・・・ひたすら、恐縮です(汗
とにかく、浅野さん、日経新聞さん、
取材の機会、本当にありがとうございました!!大変貴重な経験でした。
取材いただき、記事にして頂いたことを忘れずに、
自分が見つけたユニークさを活かし
社会に貢献できる場を、貪欲に見つけていきたいと思っています。
とにかく、行動あるのみです。
2012/06/25
日本の嫉妬の業を失くせないか?
日本経済新聞電子版がスタートした時から連載されていた
日本電産社長の永守 重信さんのブログが
6月20日をもって最後のポストになりました。
凄腕の経営者ながらも、人間味あふれるブログで
毎回楽しみにしていましたが、
最後のブログは、「一生懸命働き、思うように生きよ!」 でした。
その中で、特に印象に残った部分を引用します。
「今のままで十分幸せだ。苦労して出世しなくてもいい。
成長しない日本で頑張ってもむなしい――。
このように考える若者が増えているという。
夢をかなえるため、一生懸命働くことの素晴らしさを、
日本ではなぜ実感できなくなってしまったのだろうか。
成功した人に対する嫉妬心が強すぎる社会だからではないか。
日本ほど、事業で成功した人を敬わない国も珍しい。
頑張っても報われない、夢のない国になってしまった。
多くの税金を払っても、補助金をもらっても、悪平等でみんな同じ扱いだ。 」
。。。
嫉妬。
よく見ると、女へんの二つの漢字を組み合わせた、
なんとも言えない、イヤ~な言葉・・・。
私自身も、自分の醜い嫉妬心に悩まされたこともありますし、
嫉妬心から巻き起こる(と思われる)仲間はずれに悩み苦しんだこともあります。
最初は小学生時代にまでさかのぼりますが
保育園や幼稚園時代まで、親の保護のもと、
温室の中で、ぬくぬくと愛情いっぱい育ててもらっていたのが
小学生になると、小さいながらも「社会」という集団に放り込まれます。
自分が中心で一番だった世界で生きていたのが
急に、競争社会に移り
自分よりも優れた人がいて、
自分よりも誉められたり
人気者になったりする場面を
目の当たりにする。
算数の授業では計算の速い子が
国語の授業ではいち早く作者の気持ちを言葉に表せる子が
体育の授業では足の速い子が
休み時間は、面白いことを言える子が
放課後では、容姿のかわいい子が
それぞれの場面において、目立ち、憧れの視線を浴びる。
それが良い意味での「反骨心」につながればいいのでしょうが、
特に女の子の場合は、ドロドロとした「嫉妬心」で満たされてしまうことが多く
普通に楽しく生きていたいだけなのに
幼いながらも
自分の本当の姿を抑圧したり、
不本意な行動に従ったりしなければ、
世の中を渡っていけないと思ってしまう。
自己を確立するために
幼少期のこのような試練は、大事なことだと思っています。
しかし、
私は、それが大人になってからも幾度と無く続いてしまうことには
とても悲しいことだと思います。
嫉妬心が渦巻き、足をひっぱりまくる場面を沢山見てきました。
永守さんがおっしゃっているように
こんな状況では、会社や組織が活力を失っていくのは
無理もないことだと思います。
じゃあ、教育が悪いと一概に言えるのか?
それも違うと思います。
ゆとりの教育が良いとも悪いともいえませんが、
ゆとり教育だから嫉妬心がなくなるか?にはNOだと思います。
嫉妬をせずに、のびのびと、でも一生懸命に生きれる社会。
日本が陥っているこの状況を開く活路は、
どこかにあるはず。
自分もそれに苦しむことがあるからこそ、
しばらくこれをテーマに、自分なりの答えを探してみようと思っています。
日本電産社長の永守 重信さんのブログが
6月20日をもって最後のポストになりました。
凄腕の経営者ながらも、人間味あふれるブログで
毎回楽しみにしていましたが、
最後のブログは、「一生懸命働き、思うように生きよ!」 でした。
その中で、特に印象に残った部分を引用します。
「今のままで十分幸せだ。苦労して出世しなくてもいい。
成長しない日本で頑張ってもむなしい――。
このように考える若者が増えているという。
夢をかなえるため、一生懸命働くことの素晴らしさを、
日本ではなぜ実感できなくなってしまったのだろうか。
成功した人に対する嫉妬心が強すぎる社会だからではないか。
日本ほど、事業で成功した人を敬わない国も珍しい。
頑張っても報われない、夢のない国になってしまった。
多くの税金を払っても、補助金をもらっても、悪平等でみんな同じ扱いだ。 」
。。。
嫉妬。
よく見ると、女へんの二つの漢字を組み合わせた、
なんとも言えない、イヤ~な言葉・・・。
私自身も、自分の醜い嫉妬心に悩まされたこともありますし、
嫉妬心から巻き起こる(と思われる)仲間はずれに悩み苦しんだこともあります。
最初は小学生時代にまでさかのぼりますが
保育園や幼稚園時代まで、親の保護のもと、
温室の中で、ぬくぬくと愛情いっぱい育ててもらっていたのが
小学生になると、小さいながらも「社会」という集団に放り込まれます。
自分が中心で一番だった世界で生きていたのが
急に、競争社会に移り
自分よりも優れた人がいて、
自分よりも誉められたり
人気者になったりする場面を
目の当たりにする。
算数の授業では計算の速い子が
国語の授業ではいち早く作者の気持ちを言葉に表せる子が
体育の授業では足の速い子が
休み時間は、面白いことを言える子が
放課後では、容姿のかわいい子が
それぞれの場面において、目立ち、憧れの視線を浴びる。
それが良い意味での「反骨心」につながればいいのでしょうが、
特に女の子の場合は、ドロドロとした「嫉妬心」で満たされてしまうことが多く
普通に楽しく生きていたいだけなのに
幼いながらも
自分の本当の姿を抑圧したり、
不本意な行動に従ったりしなければ、
世の中を渡っていけないと思ってしまう。
自己を確立するために
幼少期のこのような試練は、大事なことだと思っています。
しかし、
私は、それが大人になってからも幾度と無く続いてしまうことには
とても悲しいことだと思います。
嫉妬心が渦巻き、足をひっぱりまくる場面を沢山見てきました。
永守さんがおっしゃっているように
こんな状況では、会社や組織が活力を失っていくのは
無理もないことだと思います。
じゃあ、教育が悪いと一概に言えるのか?
それも違うと思います。
ゆとりの教育が良いとも悪いともいえませんが、
ゆとり教育だから嫉妬心がなくなるか?にはNOだと思います。
嫉妬をせずに、のびのびと、でも一生懸命に生きれる社会。
日本が陥っているこの状況を開く活路は、
どこかにあるはず。
自分もそれに苦しむことがあるからこそ、
しばらくこれをテーマに、自分なりの答えを探してみようと思っています。
2012/06/13
本当のConnecting the Dots 作業をしました
Appleの創始者のSteve Jobs。
2005年のスタンフォード大学の卒業式におけるスピーチはあまりにも有名ですね。
スピーチの中には、3つのstoryがありましたが、
その中でも私が一番好きなのは、最初に語ったstoryの
"Connecting the Dots"
です。
(ご存知ない方はこちらからご覧ください)
Steveは、里親に高い学費を払わせてまで大学に行くことに疑問を持ち
リード大学をドロップアウト(退学)します。
そのかわり、自分の好きな「カリグラフィー(日本でいう書道)」のクラスに
モグリをすることで、字体の造形美を学んだのですが、
実はそれが、あのマッキントッシュに美しいフォントを入れる原点になっていた、というわけです。
この一連の流れについて、Steveはこう語ります。
「・・・
大学を辞めていなければ、その授業に出会うことはなかったでしょう。
そして、美しいフォントを搭載したパソコンも誕生することはなかったでしょう。
もちろん、その出来事のつながりを予想することは、不可能でした。
しかし10年後に振り返ると、ものすごく明らかなことなのです。
点と点のつながりは、予測できるものではありません。
後で振り返って、点のつながりに気づくのです。
ですから、今やっていることが、どこかに繋がると、信じてください。
その点が、どこかに繋がると信じていれば
他人と違う道を歩いていても
自信を持って、歩き通せるからです。
それが、あなたの人生に違いをもたらします。 」
私にはもともと、好きな言葉が二つありました。
一つ目は、映画の中で、乳がんを克服した女性が笑顔で言ったセリフ
"Everything happens for a reason"
(すべてのことは、理由があって起こっている)
二つ目は、 高校を卒業する時に古文の先生が教えてくれた昔のことば
「艱難、汝を珠にす」
(人は困難や苦労を乗り越えることによって、初めて立派な人間に成長する)
なので、このSteveのスピーチを初めて聞いたときは、
「そうそう、まさにその通り!」と感動したものです。
日々忙しい日常の中で、悪いこと・嫌なことが起こっても
この二つの言葉や、Steveのスピーチで、自分を鼓舞してきました。
しかし・・・・
人間というのは弱いもの。
そうは言っても、いよいよ、33歳の私・・・
将来どうするんだろう・・・
このままこの仕事をダラダラ続けるのか・・・
自分自身が磨耗しているだけのような気がする・・・
本当の幸せはどこに・・・
私って、こんな生き方したかったんだっけ・・・
私の強みはなんなんだろう・・・
社会に役立つ人間なんだろうか・・・
みたいな、悶々とした考えが、ずっと頭を支配していました。
悶々としては、鼓舞して、そしてまたすぐくじけて悶々とする。
負のスパイラルですね。
それが最近、突き抜けることが出来たんです・・・。オドロキ。
突き抜けるきっかけは、まさに、
"Connecting the Dots"
を見つける作業を「本気で」やったからです。
本気でやれる環境を見つけ、飛び込んでみたからです。
自分のDots、つまり、過去の点(出来事)というのは
無関係のようでいて、必ず今現在の自分自身の血となり骨となっているものです。
悪いことであっても、悲しいことであっても。
ものすごい情けないことでも。
人間として、倫理的に責められるようなことであったとしても。
それら全てに価値があり、それはつまり、自分にも価値があることに繋がります。
それをいかに客観視できるか。
ありのままを肯定できるか。
これが出来たあとの自分の、清清しさと言ったら・・・。
Steveのスピーチが好きな人は、たーくさんいると思います。が
実感を伴うためには、自分の過去の点を掘り起こすことをオススメします。
私の場合、一人でやるんじゃ孤独でイヤだったし、
私の性格上、誰も見てくれてないと、たぶんやり通せないと思ったので(笑)
ものすごいアツイ先生がやっている塾に通って、
先生や仲間と、ひたすら濃厚な4ヶ月間を過ごしました。
自分ひとりじゃ出来ない人や
Steve Jobsのスピーチに感動した人
自分の強みがわからなくて、自信がない人には
本当にオススメです。
2005年のスタンフォード大学の卒業式におけるスピーチはあまりにも有名ですね。
スピーチの中には、3つのstoryがありましたが、
その中でも私が一番好きなのは、最初に語ったstoryの
"Connecting the Dots"
です。
(ご存知ない方はこちらからご覧ください)
Steveは、里親に高い学費を払わせてまで大学に行くことに疑問を持ち
リード大学をドロップアウト(退学)します。
そのかわり、自分の好きな「カリグラフィー(日本でいう書道)」のクラスに
モグリをすることで、字体の造形美を学んだのですが、
実はそれが、あのマッキントッシュに美しいフォントを入れる原点になっていた、というわけです。
この一連の流れについて、Steveはこう語ります。
「・・・
大学を辞めていなければ、その授業に出会うことはなかったでしょう。
そして、美しいフォントを搭載したパソコンも誕生することはなかったでしょう。
もちろん、その出来事のつながりを予想することは、不可能でした。
しかし10年後に振り返ると、ものすごく明らかなことなのです。
点と点のつながりは、予測できるものではありません。
後で振り返って、点のつながりに気づくのです。
ですから、今やっていることが、どこかに繋がると、信じてください。
その点が、どこかに繋がると信じていれば
他人と違う道を歩いていても
自信を持って、歩き通せるからです。
それが、あなたの人生に違いをもたらします。 」
私にはもともと、好きな言葉が二つありました。
一つ目は、映画の中で、乳がんを克服した女性が笑顔で言ったセリフ
"Everything happens for a reason"
(すべてのことは、理由があって起こっている)
二つ目は、 高校を卒業する時に古文の先生が教えてくれた昔のことば
「艱難、汝を珠にす」
(人は困難や苦労を乗り越えることによって、初めて立派な人間に成長する)
なので、このSteveのスピーチを初めて聞いたときは、
「そうそう、まさにその通り!」と感動したものです。
日々忙しい日常の中で、悪いこと・嫌なことが起こっても
この二つの言葉や、Steveのスピーチで、自分を鼓舞してきました。
しかし・・・・
人間というのは弱いもの。
そうは言っても、いよいよ、33歳の私・・・
将来どうするんだろう・・・
このままこの仕事をダラダラ続けるのか・・・
自分自身が磨耗しているだけのような気がする・・・
本当の幸せはどこに・・・
私って、こんな生き方したかったんだっけ・・・
私の強みはなんなんだろう・・・
社会に役立つ人間なんだろうか・・・
みたいな、悶々とした考えが、ずっと頭を支配していました。
悶々としては、鼓舞して、そしてまたすぐくじけて悶々とする。
負のスパイラルですね。
それが最近、突き抜けることが出来たんです・・・。オドロキ。
突き抜けるきっかけは、まさに、
"Connecting the Dots"
を見つける作業を「本気で」やったからです。
本気でやれる環境を見つけ、飛び込んでみたからです。
自分のDots、つまり、過去の点(出来事)というのは
無関係のようでいて、必ず今現在の自分自身の血となり骨となっているものです。
悪いことであっても、悲しいことであっても。
ものすごい情けないことでも。
人間として、倫理的に責められるようなことであったとしても。
それら全てに価値があり、それはつまり、自分にも価値があることに繋がります。
それをいかに客観視できるか。
ありのままを肯定できるか。
これが出来たあとの自分の、清清しさと言ったら・・・。
Steveのスピーチが好きな人は、たーくさんいると思います。が
実感を伴うためには、自分の過去の点を掘り起こすことをオススメします。
私の場合、一人でやるんじゃ孤独でイヤだったし、
私の性格上、誰も見てくれてないと、たぶんやり通せないと思ったので(笑)
ものすごいアツイ先生がやっている塾に通って、
先生や仲間と、ひたすら濃厚な4ヶ月間を過ごしました。
自分ひとりじゃ出来ない人や
Steve Jobsのスピーチに感動した人
自分の強みがわからなくて、自信がない人には
本当にオススメです。
2012/04/15
自分に向き合わないといけない時が来ました。
今年の2月から、本格的に自分の掘り起こしをはじめました。
ここに至る経緯は話せば長くなりますので、また別途。
自分の日常に対し、
「何かおかしい」と湧き上がるこの問いの答えを
探したい欲求に
ものすごい力で耐えてきた私。
自分自身に疑問符を提示できず、
いままで、なんとなく決まったレールに乗ったまま
惰性で激務を続ける日々。
なぜ答えを探さなかったのでしょう?
「じゃあ、おまえには何ができるんだ?」と問われたとき
何も出てこないのがわかっていたし、
その事実に直面することが怖かったから。
ポテンシャル
なんていう、優しい言葉では、もう誤魔化してもらえませんから。
でも、いよいよそのときが来たようなのです。
価値観が変革し、一通りでは定まらない。
これまでもたれかかってきたものが、一瞬にしてなくなりうる時代。
個人の力が試される時代への回路を
私は 開くことができるか。
いま、出会うべくして出会えた師について
己の掘り起こしをしています。
好きな英語のレッスンもしばらくお休み。
自分と向き合う孤独な作業は
暗い闇を手探りで歩いているようなもので
唯一の道しるべは、「あなたには価値がある」と断言してくれる
師の言葉だけ。
常識や世間体や知識や学問といった長い螺旋階段をすっ飛ばして
抑圧の鎖を引きちぎり
世界が見渡せる高い広い位置に、ポーンと立つことが出来るのかな?
ここに至る経緯は話せば長くなりますので、また別途。
自分の日常に対し、
「何かおかしい」と湧き上がるこの問いの答えを
探したい欲求に
ものすごい力で耐えてきた私。
自分自身に疑問符を提示できず、
いままで、なんとなく決まったレールに乗ったまま
惰性で激務を続ける日々。
なぜ答えを探さなかったのでしょう?
「じゃあ、おまえには何ができるんだ?」と問われたとき
何も出てこないのがわかっていたし、
その事実に直面することが怖かったから。
ポテンシャル
なんていう、優しい言葉では、もう誤魔化してもらえませんから。
でも、いよいよそのときが来たようなのです。
価値観が変革し、一通りでは定まらない。
これまでもたれかかってきたものが、一瞬にしてなくなりうる時代。
個人の力が試される時代への回路を
私は 開くことができるか。
いま、出会うべくして出会えた師について
己の掘り起こしをしています。
好きな英語のレッスンもしばらくお休み。
自分と向き合う孤独な作業は
暗い闇を手探りで歩いているようなもので
唯一の道しるべは、「あなたには価値がある」と断言してくれる
師の言葉だけ。
常識や世間体や知識や学問といった長い螺旋階段をすっ飛ばして
抑圧の鎖を引きちぎり
世界が見渡せる高い広い位置に、ポーンと立つことが出来るのかな?
2012/01/05
三大美人湯を堪能
今回の高野山・和歌山旅行の二日目では、高野山を降りて、秘湯中の秘湯・龍神温泉に足を伸ばしました。龍神温泉は、日本三美人の湯と言われており、お肌の古い角質を取り、つるつる&美白効果があります。ちなみに残りのもう二つの美人湯は、島根県の湯の川温泉、群馬県の川中温泉だそうです。この二つはたった今調べたので旅行中も知らなかったのですが、一昨年の年末に出雲大社と石見銀山に行っていたので、湯の川温泉にも寄ればよかったなぁ!と思います。
龍神温泉では、下御殿さんにお邪魔して宿泊しました。
龍神温泉に寄り下御殿さんに泊まるというのは、実は以前から決めていたわけではありません。かねてからトルコ記念館に行こうと思っていたのですが、紀伊半島の最南端に位置し、NAVITIMEで9時間程度かかると出てしまったので、今回は潔くあきらめることにしました。その代わり一日目の行きの新幹線の中でiPhoneで高野山付近をmap検索し、「温泉」の二文字を見つけただけで友達と即決、その場で予約をしたのです。美人の湯とはつゆ知らず、まさに行き当たりばったりでも非常にLucky choiceでした!このあたりの運にはだいぶ恵まれています。
下御殿さんの温泉は内湯も露天(混浴!)も双方良かったのですが、特にお座敷風呂には驚きました。その名の通り、床・湯船がすべて畳なのです!岩のゴツゴツした肌触りとはまた違った、井草独特の感触が病みつきになりました。
こちらの旅館は歴史がありながらも、きれいにお手入れがされていて、宿坊のように寒い思いもせず(笑)、美味しいお料理に舌鼓を打ちました。 また、ホスピタリティにも溢れ、居心地の良い晦日を過ごすことができました!
そして、ずっと運転してもらい、限りない笑いをくれた友人には一番の感謝です。
龍神温泉では、下御殿さんにお邪魔して宿泊しました。
龍神村に入ると一番に目に入る旅館です |
龍神温泉に寄り下御殿さんに泊まるというのは、実は以前から決めていたわけではありません。かねてからトルコ記念館に行こうと思っていたのですが、紀伊半島の最南端に位置し、NAVITIMEで9時間程度かかると出てしまったので、今回は潔くあきらめることにしました。その代わり一日目の行きの新幹線の中でiPhoneで高野山付近をmap検索し、「温泉」の二文字を見つけただけで友達と即決、その場で予約をしたのです。美人の湯とはつゆ知らず、まさに行き当たりばったりでも非常にLucky choiceでした!このあたりの運にはだいぶ恵まれています。
下御殿さんの温泉は内湯も露天(混浴!)も双方良かったのですが、特にお座敷風呂には驚きました。その名の通り、床・湯船がすべて畳なのです!岩のゴツゴツした肌触りとはまた違った、井草独特の感触が病みつきになりました。
友人が、人がいない隙に撮っていました! |
こちらの旅館は歴史がありながらも、きれいにお手入れがされていて、宿坊のように寒い思いもせず(笑)、美味しいお料理に舌鼓を打ちました。 また、ホスピタリティにも溢れ、居心地の良い晦日を過ごすことができました!
そして、ずっと運転してもらい、限りない笑いをくれた友人には一番の感謝です。
2012/01/02
高野山での休息、、
高野山といえば宿坊での宿泊が楽しみの一つ。普段の旅行で泊まるようなホテルや旅館ではなく、お寺の中にお邪魔して一日を過ごせるというのは、今は一般的に門戸が開かれていますが、なかなかやってみる機会がないような経験なので、いろいろなことがあった2011年の年末旅行にふさわしいものになったのではないかと思っています。
今回は、高野山にある準別格本山 光明院 にお世話になりました。本来のお勤めに加えて年越し準備などの慌ただしい中、この時期に旅行客を受け入れている宿坊は限られていたのですが、こちらは寛大にも年末年始も営業中(営業と言っていいのかわかりませんが…)でした。
なんば駅から南海線で極楽橋を経由し、ケーブルカーで高野山まで到着、その後バスに乗車して、やっと光明院に着いたのが18時頃でしたので、すぐにお食事を頂くことができました。精進料理はボリュームもあり、とても美味しく頂けました。
高野山の気温は1度ぐらいでしたが、雪が降るということはなく、お天気には恵まれましたが、やはり1度ということで、お庭に面した美しい廊下、外の気温とほぼ変わらないお部屋、荘厳な本堂などは特に、文字通り底冷えという感じで、屋内にいても吐く息が白く、部屋では炬燵に潜って出られない状態が続いてしまったのはとても情けないと感じています。
ただ、久しぶりに入った炬燵はとても懐かしくて、昔に戻ったような気持ちになりました!
写真は、炬燵でやった写経です。写経は2度目ですが、早起きだったこともあり、眠気を断ち切ることができず、なんども寝ては起きを繰り返したため、ぐちゃぐちゃになってしまいました。
気分を新たに
新年が明けたので、今年一年への思いを新たに、日々の思いや考えを書き残して生きたいと思っています。ソーシャルネットワークとしてFACEBOOKやTwitterをメインに使い始め(mixiは最早放置状態ですが、そういう人多いのでは?)、それらを追いかけているだけでも時間が過ぎてしまうので、どうしてもブログまでには手が届きませんでした。使い分けに少し混乱するかもしれませんが、考えながらやっていきたいと思っています。
いつも見ている番組ですが、つい最近のクールでやっていたNHKの白熱教室で、コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の「選択は力なり」をテーマとした講義が大変興味深かったというのも、改めてブログをつけようと思った理由でもあります。
教授いわく、毎日は選択の連続です。どんな些細な行動でもそう。
極端に言えば「今起きるか、このまま寝るか」も選択の一つですね。
あまたある選択肢の中から、より良い選択をするために、まず「何を知っているのか」を自分に問い、その「知っていることから、枠組みを変えて正反対の視点で考える」ことが重要なのだそうです。
とはいえ、人生において間違った選択はつきもの。より良い選択ができるようになるために、第3回の講義「選択日記のすすめ」 では「選択日記」をつけることが薦められています。
・ 何を選択したか、何を選択しなかったか。
・ その選択をするのにどのくらいの時間考えたのか。途中でどんなことを考えたか。
・ その選択は、どんな結果をもたらしたか。うまくいったか。
何を間違えたか、何がうまくいって何が失敗したか。
ブログですべてを書き連ねることは無理ですが、特にインパクトの大きかったものについては書き残して、皆さんのご意見もいただきつつ、Vital Lifeにしていこうと思っています。
いつも見ている番組ですが、つい最近のクールでやっていたNHKの白熱教室で、コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の「選択は力なり」をテーマとした講義が大変興味深かったというのも、改めてブログをつけようと思った理由でもあります。
教授いわく、毎日は選択の連続です。どんな些細な行動でもそう。
極端に言えば「今起きるか、このまま寝るか」も選択の一つですね。
あまたある選択肢の中から、より良い選択をするために、まず「何を知っているのか」を自分に問い、その「知っていることから、枠組みを変えて正反対の視点で考える」ことが重要なのだそうです。
とはいえ、人生において間違った選択はつきもの。より良い選択ができるようになるために、第3回の講義「選択日記のすすめ」 では「選択日記」をつけることが薦められています。
・ 何を選択したか、何を選択しなかったか。
・ その選択をするのにどのくらいの時間考えたのか。途中でどんなことを考えたか。
・ その選択は、どんな結果をもたらしたか。うまくいったか。
何を間違えたか、何がうまくいって何が失敗したか。
ブログですべてを書き連ねることは無理ですが、特にインパクトの大きかったものについては書き残して、皆さんのご意見もいただきつつ、Vital Lifeにしていこうと思っています。
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