この映画(といっても、実態はドキュメンタリーですが、 映像美は映画に近い)は、自主上映会という形の草の根活動で公開されています。
この第三番では、3人の人が取り上げられており、どの人も大変素晴らしい活動家でした。
特に、その中の一人、私の大好きな写真家の星野道夫さんに関しては、クランクイン前に自身が傾倒している熊に襲われて亡くなってしまうという出来事がありました。
その代わり、彼を愛しているアラスカの人々の言葉や思いから映像が作られています。
彼らを見ていると、その死が決してネガティブではないということがわかります(もちろん悲しい気持ちはありますが)。むしろ「死は生命にとっての大いなるギフトである」、「自然の終わりはいつも何かの始まりだ」という重要なメッセージを、星野さんが星野さん自身で表現したのでしょう。
この映画を見てまず、動物も植物も、人間のために生きているのではなく、それ自身のために息づいているという当たり前の事実に気づきました。
そして、過去から今、そして未来へと続いていく地球の果てしない時間を感じ、眩暈すら覚えてきます。しかし、自分もその連綿とした自然連鎖の一部分であるということを意識するようになると、日々の悩みの根源や、自分にとって重要なことの価値基準が徐々に明確になるような気がしています。
動物だとか植物だとか、人間だとか、人種だとか、性別もそうですが、そんなカテゴライズされた次元は馬鹿みたいだなぁと思いますし、価値観が変わると日々の生活も変わってくるのです。
話が少し矮小化しますが、今さかんに企業で多様性(ダイバーシティ)が叫ばれていますが、そもそも多様性は肯定されて当たり前なのに、なぜわざわざスローガンにしないと実行に移せない社会になってしまったのでしょうか?
ここが動物とは違う、「想像力」を持った人間という生命体の性なのでしょうか。
金子みすずさんの「みんな違って、みんないい」 まさに、これに尽きると思うのですが、、
この映画を見ると、しばらく宇宙的な視座に立つことができ、地球上の生命のあらゆる多様性は肯定されるものだと気づきます。多様性が調和している状態こそ美しいのだと感じることができます。
しかし、自分を振り返ると、日常の中で「自然との調和」を全く意識していないことに愕然とし、なんておこがましいのかと恥ずかしくなりました。社会全体で、それを意識しないようなシステムになろうとしているような気もしていますが・・・。
続く宇宙物理学者フリーマン・ダイソンについても大変素晴らしかったです。
生と死とは何か、自分が地球に生まれた理由とは?
誰もが一度は考えたことのある問いと思いますが、良いヒントをくれる映画だと思います。
彼らの発する一言、一言が、胸に刺さります。
特に、大震災を経験し原発問題を抱えた今のタイミングは、地球のことを心から真剣に考えられる良い機会です。
DVDでも見れますし、自主上映会もよく開催されているので、足を運んでみてはいかがでしょうか。
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